①ロシアもヨーロッパも「モンゴル」抜きに語ることが出来ない
ルーシ(ロシア)の地にすさまじい破壊の嵐をもたらしたバトゥの侵攻で、ここから「タタールのくびき」時代が幕を開けるのですが、これは「タタールのくびき」と言うより、むしろ「タタールによる安定」といった方が適切であると見られています。モンゴルは侵攻当初は徹底的な破壊を行いますが、いったん支配下に入ればもう味方と考え、反乱等の如何ともし難い場合を除き、弾圧政策や同化政策は全く採っていないのです。むしろ、モンゴル侵入以前のルーシの歴史で流された血を考えると、断然モンゴル時代の方が安定して平和と言えるでしょう。
したがって、このモンゴル統治は、ロシア最初の統一王朝がスウェーデンからやって来たリューリクによって開かれたことがいみじくも示すごとく、ロシアは外国人もしくは国内少数民族が統治したほうがうまくいく、という例の1つだとも指摘されているのです。ドイツ人の血の方が濃いツァーリが統治し続けたロマノフ王朝、少数民族出身者あるいはその影響のきわめて濃い人物の書記長・政治局員が続いたソ連時代を考えると、これはロシア史のセオリーといっても過言ではないと言うのです。多民族国家はえてしてこのようなものであり、例えば同じくユーラシアの多民族国家オスマン・トルコ帝国などでも、ほとんどトルコ人の血が混じらないスルタンがトルコを治め、デウシルメ制度でキリスト教徒の子息を徴用し、イスラーム教に改宗した彼らのうち、賢い者は宮廷に上がって、後に大臣となり、そうでない者はイェニチェリ部隊に編入されてトルコ陸軍の中心となっていきました。つまり、オスマン・トルコは国名はトルコと言いながら、実は支配階級はほとんど非トルコ人、という国家だったのです。つまり、能力ある者はどんな民族であろうが登用し、共同体の統治に当たらせるのは多民族国家の優れた特徴なのです。
アドリア海に達したバトゥは、1242年にモンゴル帝国の第2代オゴデイ=カーンの死を聞くと、全軍に作戦停止を命じ、ロシア以西の領土を放棄してオゴタイの長男グユクらをクリルタイへ向かわせました。しかし、バトゥ自身は、チンギス=カンの長男である自分の父親ジュチが生前約束されていた「モンゴル鉄騎の蹂躙しうる限りの西の土地」、つまりポーロヴェッツ(キプチャック)人の地にバトゥ自身の、ひいてはジュチ一門の支配権を確立するため、ロシアに留まることになります。
キプチャック汗国はジュチの子達が治めるウルス(モンゴル語で「自らに隷属する民と封土」のことです)の連合国といった風であり、後にイスラーム教を国教とし、ここに史上「タタールのくびき」と言われる時代が到来して、このキプチャック汗国の支配は約220年の長きに渡ることになりました。やがて、第3代のベルケ=カンの時代にルーシ全土のモンゴル支配が完成し、ロシア諸公はその地位を認めてもらうため、あるいは土地問題のその他もろもろの紛糾の決裁を仰ぐために、はるばるカラコルム(現モンゴル共和国の首都ウランバートル付近)のカーンの元へ伺候し、ヤルルィクと呼ばれる特許状を下賜されることにより、公の地位を認められることとなったのです。広大なモンゴル帝国が決定的に5つのカン国(キプチャック汗国、イル汗国、チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、元)に分裂してからは、キプチャック汗国の首都サライのカンの元に伺候すればよいこととなりますが、この伝統は1462年にモスクワ大公国大公イヴァン3世が、周辺の汗国の許可を取らずにモスクワ大公に即位するまで続きます。
すなわち、近世ロシアはモンゴル帝国を母体として誕生してきたわけです。同様にルネサンスも、その始まりはモンゴルによる世界規模の交流とゆるやかな一体化への動きの中で起きたのであり、近世ヨーロッパもモンゴル帝国を母体として誕生したと言っても過言ではないのです。
「十六世紀なかば、イヴァン四世(雷帝)による恐怖政治と強引な勢力拡大によって、事実上、ロシア帝国が出現する。その直接の契機と画期は、ジョチ・ウルスの中核地帯であったヴォルガ水系の掌握にあった。つまり、ロシア帝国はモンゴルのなかから生まれた。たちまちにして、シベリアの広大な大地を東に陸進し、地図上の見かけだけなら、大版図を獲得する。それも、モンゴルの影響圏を東にたどっただけのことである。・・・
西洋史の影響の濃いロシア史は、モンゴルの翳(かげ)に触れることを忌避し、つとめてロシアの自発性とリトアニアやポーランドとのかかわりを強調する。それは、ロシア・ソ連時代の文献や記録、さらにはそれにもとづく研究が、そういう方向性をもってしるされたからである。
しかし、純客観にいって、ロシア帝国がモンゴルのなかから出現したことは、なんといおうが、厳然たる歴史事実で、これを否定することは誰もできない。そもそも、モンゴル支配を前提にしなければ、ロシア帝国の東方への意欲は説明しがたい。つまり、モンゴルという要素がなければ、ロシアは、あのように巨大にはならなかっただろう。」(杉山正明)