歴史探究「パックス・モンゴリカ⑮」:驚くべき重商主義財政と自由経済のシステム
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③国際通貨「銀」を補完した共通通貨「紙幣」「塩」、対日主要輸出品となった「銅銭」
北宋から数えれば300年を超す古い王朝である南宋を倒し、当時のユーラシア世界で最も経済力・産業力に富む江南という豊かな社会を手に入れたクビライは、各種の占領政策と共に通貨問題についても慎重に議論を重ねた末、銅銭を国家公認の正式貨幣としては扱わないことに決定しました。元々、日本は北宋時代より銅銭を大量入手し、南宋時代に至っては日本の商船がやって来てはあまりにも大量の銅銭を買い込むので、南宋国内が銅銭不足に追い込まれ、南宋政府は幾度も銅銭売却を禁じるほどでしたが、ここへ来て、突然銅銭のフリー・マーケット状態が出現したため、銅銭は最も有力な対日貿易輸出品となるのです。従来、「日宋貿易」に比べて「日元貿易」は低調で、ほとんど行われなかったかの如く見られて来ましたが、日本や海で多数発見されている宋銭はむしろ元代に大量に運ばれたものと見ていいのです。
そもそも銅銭不足により、北宋代には「交子」、南宋代には「会子と呼ばれる紙幣が流通していましたが、モンゴル帝国も第2代オゴデイ=カーンの時代には既に金や南宋で使われていた紙幣を取り入れ、帝国内で使用する事が出来る「交鈔」(こうしょう)と呼ばれる紙幣を流通させていました。ちなみに会子など旧来の紙幣は、発行されてから通貨としての価値が無効になるまでの期間が限定されており、紙幣はあくまで補助通貨でしかなかったのですが、モンゴルは初めて通貨としての紙幣を本格的に流通させたのです。交鈔は金銀との兌換(交換)が保証されており、包銀の支払いも交鈔で行うことができるようにして、紙幣の流通を押し進めるのです。絶えず紙幣の増刷が行われたために紙幣価値の下落は避けられませんでしたが、元では塩の専売制を紙幣価値の安定に寄与させてこれを解決しています。すなわち、生活必需品である塩は専売制によって政府によって独占販売されますが、政府は紙幣を正貨としているため、紙幣でなければ塩を購入することはできません。これは紙幣は政府によって塩との交換が保証されているということであり、絶対量の増加がほとんど起こらない金銀に対し、消費財である塩は常に生産され続けるので、塩の販売という形で紙幣の塩への「兌換」をいくら行っても、政府の兌換準備額は減少しないのです。こうして、専売制とそれによる政府の莫大な歳入額を保証として紙幣の信用は保たれ、金銀への兌換準備が不足しても紙幣価値の下落は進みにくい構造が保たれました。
さらに中国では、政府の製塩所で生産された塩を民間の商人が購入するには、「塩引」(えんいん)と呼ばれる政府の販売する引換券が必要とされましたが、塩引は塩と交換されることが保証されているために、紙幣の代用に使うことができました。元はこれを発展させ、宋では銭貨によって販売されていた塩引を、銀・交鈔によって販売したのです。このようにして、塩引は国際通貨である銀と交換される価値を獲得し、しかも一枚の額面額が高いために、商業の高額決済に便利な高額通貨ともなったわけです。
かくして、塩との交換で保証された交鈔・塩引を銀に等しい通貨として流通させることによって銀の絶対量の不足を補いつつ、塩引の代金と商税を銀単位で徴収したことにより、元の中央政府、皇帝の手元には、中国全土から多量の銀が集められました。