歴史探究「パックス・モンゴリカ⑧」:「草原の軍事力」+「中国の経済力」+「ムスリムの商業力」
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②西方世界を圧倒する「中国の生産力・技術力・経済力・文化的成熟」
元の国土の内側でもっとも生産性に富んでいたのは、南宋を滅ぼして手に入れた江南でした。江南は、元よりはるか以前の隋唐時代から中国全体の経済を支えるようになっていましたが、華北を金に奪われた南宋がこの地を中心として150年間続いたことで開発は更に進み、江南と華北の経済格差はますます広がっていたのです。「蘇湖熟すれば天下足る」「蘇常熟すれば天下足る」という南宋で生まれた言葉は、江南の富が如何に大きかったかを示しています。この言葉は、蘇州・湖州・常州(湖州・常州は江蘇省太湖の西と南のこと)の作物が実ってくれれば他の地域が不作だったとしても心配は無いという意味です。実際、モンゴルが江南を併合する前の1271年と併合した後の1285年では、その歳入の額が20倍に跳ね上がったという数字が出ています。さらに、江南には、元の国家収入の屋台骨を支える塩、茶、酒、明礬などの専売制の生産の大半が集中しており、専売制は江南の富を国家が吸い上げるために重要な制度でした。元では遠隔地交易が活性化し、国庫に入る商税の総額は非常に莫大なものとなりましたが、元において歳入の8割とも言われる最も大きな部分を占めたのは塩の専売制だったのです。
ところで、クビライは『農桑輯要』という官撰の農書も刊行していますが、国家の政策として同書が編纂されたということは、元の内政が商業一辺倒であったわけではなく、国家的規模での勧農政策が推進された事を物語っています。さらに、クビライは海に面した現在の天津から大都まで80kmほどの運河を穿ち、大都の中に港を造って、江南の穀物がはるか北の大都へと流入するようにしています。
「五日目にザイトン(泉州)という非常にりっぱな大都市に着く。ここは海港で、インドの船はみな高価な商品、貴重な宝石類、大きいりっぱな真珠を満載してここへ入港する。また、マンジ(中国)の諸地方の商人たちもこの港に集まってくる。・・・さて、大汗(クビライ)はこの都会と港から実に莫大な税収を得ているが、これはインドから来る船はすべて10パーセント、すなわち彼らが持ってくる全ての商品、宝石、真珠の価格の10分の1を納めることになっているからである。・・・こうして、税と船賃とで商人は載んできたものの半分は差し出さねばならぬことになる。しかも残りの半分でも大変な利益があがるので、もっと沢山商品を持って、もう一度来ようと考える。これを見ても、大汗がこの都会から取りたてている税収がどんなに莫大なものであるか、容易に信じられるはずである。」(マルコ・ポーロ『世界の記述』)