歴史探究「パックス・モンゴリカ⑦」:「草原の軍事力」+「中国の経済力」+「ムスリムの商業力」

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学び
①中国・イスラーム・ロシア・ヨーロッパを制覇した脅威的なモンゴルの軍事力・機動力

 チンギス=カンは「千戸制」という軍団組織を作り上げましたが、戸制のシステムによって集められた兵士達は全て軽騎兵であり、1人が5、6頭の馬を連れて従軍し、機動力が抜群でした。また、千戸制は軍制だけでなく、日常の行政組織でもありました。かくして、「モンゴル軍」は草原を制覇したのみならず、南方中国を完全制圧し、ヨーロッパが十字軍を繰り出しても勝てなかったイスラーム勢力の中心たるアッバース朝を滅亡させ、ロシアを200年に及ぶ「タタールのくびき」の下に置きました。第2代オゴデイの死によるバトゥのハンガリー旋回と第4代モンケの死によるフレグのシリア旋回が無ければ、ヨーロッパも制圧されたものと思われます。
 モンゴル軍の遠征における組織だった軍事行動を支えるためには、敵情の綿密な分析に基づく綿密な作戦計画の策定が必要であり、モンゴルは遠征に先立ってあらかじめ情報を収集していました。実戦においても先鋒隊がさらに前方に斥候や哨戒部隊を進めて敵襲に備えるなど、きわめて情報収集に力が入れられています。また、中央アジア遠征ではあらかじめモンゴルに帰服していた中央アジア出身のムスリム商人、ヨーロッパ遠征では母国を追われて東方に亡命したイングランド貴族が斥候に加わり、情報提供や案内役を務めていたことが分かっています。
 初期のモンゴル軍は抵抗した都市を徹底的に破壊して、その住民を殺戮し尽くした恐怖の軍隊でしたが、その残虐さを強調することで宣伝効果を狙ったとされます。実際、中央アジアではこの時代のオアシス都市としてはありえない数十万人の住民が殺害されたと伝えられているように、このような言い伝えには誇張もあったでしょう。実は恐怖のモンゴル軍のイメージは、戦わずして敵を降伏させるために使われたモンゴルの情報戦術の1つ(脅し=ブラフ)だったのではないかとも言われているのです。

「『集史』に見られるウルスの用法をしらべると、やはり『国(くに)』にちかい意味で使われている。ただし、農耕地域における国家や、西欧型をモデルとする近現代の国家とはちがい、土地や領域の側面での意味合いは限りなく希薄で、あくまで人間集団にウェイトがおかれている。つまり、固定された国家ではなく、人間のかたまりが移動すれば、『国(ウルス)』も移動してしまう類の国家としてである。その意味では、はなはだ可動性にとむ、融通無碍(ゆうずうむげ)な国家であった。
 超広域の巨大帝国に発展するもとの『モンゴル・ウルス』とは、そういう集団概念なのであった。人のかたまりをもとに、可変性と移動性を本質とする『ウルス』という国家意識――。これこそ、モンゴルの驚異の拡大の鍵である。」(杉山正明『世界の歴史9 大モンゴルの時代』)
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