歴史探究「パックス・モンゴリカ⑥」:「モンゴル帝国」によって真の意味で「世界史」が成立した
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③「モンゴル帝国」の出現で東洋と西洋は連結され、ユーラシア大陸は1つになった
モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス=カンが創設した遊牧国家を「イェケ・モンゴル・ウルス」(「大モンゴル国」)と言いますが、チンギスとその後継者達はモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ビルマ、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸の大部分にまたがる史上最大の帝国「モンゴル帝国」を創り上げ、当時の世界の全人口の約半数が支配下となりました。全部1つの国なので、理論上、戦争は無くなり(内乱、内戦となるわけです)、これを「モンゴルの平和」(パックス・モンゴリカ)、あるいは「タタールの平和」(パックス・タタリカ)と言います。やがて、モンゴル帝国は東アジアの元(大元ウルス)、中央アジアのチャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)、キプチャク草原のキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、西アジアのイル・ハン朝(フレグ・ウルス)の4大政権からなり、元を統べる大カーンを盟主とする緩やかな連合国家に再編されました。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かいますが、モンゴル帝国の支配した地域では、チンギス=カンの血を引かないものでなければハーンになることはできないという「チンギス統原理」(Chingisid principle)が長く残ることになり、チンギス=カンの末裔を称する王家達は実に20世紀に至るまで中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになります。例えば、東ヨーロッパのクリミア半島では1783年まで、中央アジアのホラズムでは1804年まで、インド亜大陸では1857年まで、王家がチンギス=カンの血を引くことを誇りとするモンゴル帝国の継承政権(クリミア・ハン国、ヒヴァ・ハン国のシャイバーン朝、ムガル帝国)が存在しました。また、かつてのジョチ・ウルス東部に広がった遊牧民カザフの間では、ソビエト連邦が誕生する20世紀初頭までチンギス=カンの末裔が指導者層として社会の各方面で活躍しています。ちなみに、2004年にオクスフォード大学の遺伝学研究チームの報告によると、チンギス=カンが最も遺伝子を遺した人物とし、その数はアジア・ヨーロッパを中心に1,600万人いるとされます。
ところで、モンゴル帝国は東西交易路の安全を確保するために駅伝制「ジャムチ」を整備し、モンゴル政府発行の通行許可証が「牌子」(はいず)を持っていれば街道沿いにある宿駅で宿泊したり、馬を交換したりと便宜を受けながら旅をすることが出来ました。このように交易路の安全はモンゴルによって守られていたため、ムスリム商人と呼ばれるイスラーム教徒の商人達が特に活躍するとともに、ローマ教皇インノケンティウス4世から派遣されたプラノ=カルピニや、フランス王ルイ9世が派遣したルブルックなどのように、外交使節もモンゴル高原にやって来ています。例えば、カルピニなどは旅の途中のオアシスの町やカラコルムでたくさんヨーロッパ人に会っていますが、旅行記などを残さない職人や女達がかなりユーラシア大陸を大移動していたようです。また、ネストリウス派キリスト教が西アジアから中央アジアにかけて拡がっていて、モンゴル王族の女性達にも信者がおり、カーンの妻の中にもいました。クビライの時代にもローマ教皇からモンテ=コルヴィノという宣教師が派遣されていますが、彼は大都で30年間も布教しているのです。
モンゴル時代の旅行者で一番有名なのはヴェネツィア商人マルコ=ポーロですが、若くて賢かったのでクビライに気に入られ、元の役人として中国各地で17年間働いています。イタリアに帰ってから、戦争で捕虜になって牢屋に入れられてしまうのですが、同室の囚人マルコ=ポーロの話を書き留め、『東方見聞録』(『世界の記述』)を著します。この本はヨーロッパで広く読まれ、アジアに関する関心が高まり、特に「黄金の国ジパング」(これが英語のジャパンの語源となりました)では金がザクザク採れるので、宮殿は柱も屋根も金でできている、などと書いてあるため、これが後にコロンブスが大航海を計画するきっかけの1つになったことは有名です。
「ユーラシア規模とはいえ、世界というものが、想像や空想をまじえたものでなく、文字どおり、現実の世界として認識されはじめるのは、モンゴル時代からである。それは、まずモンゴルという武力の拡大としておこった。しかしそれによって、国境・国家・政権の壁は、大きく取りはずされた。
ついでモンゴルは、海をも視野におさめる。陸海を巻きこんだユーラシア大交流圏が、ゆるやかだが、出現する。人・もの・文化が交錯しながら往来した。刺激や伝播は、一方通行でなく、いった先で新しい形やものを生み、ふたたび戻ってさらに新しいなにかを伝え、生みだした。じつは、伝播や影響というものは、すべからく『往復切符』であるのは自然のあり方なのだろう。資本主義ないしはその走りも、このころよりユーラシアと北アフリカの全域に、うすい皮膜となって、あらわれだすのかもしれない。」(杉山正明『大モンゴルの時代』)