歴史探究「パックス・モンゴリカ⑤」:「モンゴル帝国」によって真の意味で「世界史」が成立した
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②「歴史の父」ヘロドトスも「東洋のヘロドトス」司馬遷も「世界史の父」たり得ない
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスはペルシア戦争後、諸国を遍歴して『歴史』(全九巻)を著わし、「歴史の父」とも呼ばれます。ちなみに「エジプトはナイルのたまもの」と言う言葉はヘロドトスが『歴史』に書いていることで有名になりましたが、元はヘシオドスの言葉です。『歴史』の記述はギリシアはもちろん、ペルシア、エジプトに関する事物まで及び、ヘロドトス自身が実際に見聞きしたことが集められており、ギリシア人の立場から『歴史』を物語的叙述で著わしたのですが、この点、後に現れるアテナイの歴史家トゥキディデスが著した実証的な『戦史』と対照的です。『歴史』はヨーロッパで最も古い歴史書の1つであり、後世まで読みつがれた他、中世ビザンティン時代のギリシア人達もヘロドトスに倣った形式で歴史書を書いています。
また、中国前漢時代の歴史家司馬遷も全130巻という大著『史記』の著者として東洋最高の歴史家の一人に数えられ、「東洋のヘロドトス」とも呼ばれています。司馬遷が『史記』において確立した記述方式は「紀伝体」と呼ばれ、皇帝ごとの「本紀」と諸臣を記述した「列伝」、および年表などの諸表や文化史の記述、諸侯の事績などから成ります。『史記』が中国で最初の正史となるのですが、後の中国の正史は全て基本的にこのパターンを踏襲しています。
しかしながら、真に世界史の名に値する最初の歴史書は、ヘロドトスの『歴史』でも司馬遷の『史記』でもなく、モンゴル帝国イル・ハン朝の宰相ラシード=アッディーンの『集史』なのです。『集史』は「モンゴル帝国の正史」であると同時に、モンゴルに連結された「世界」の歴史を集大成した、歴史上初の「総合的史書」です。
ラシード・アッディーン~第7代目のフレグ・ウルス君主となったガザンはイスラームに改宗し、国家の根本改造と行政改革に乗り出しますが、その改革を進めるヴァズィール(宰相)として指名したのがユダヤ人であったとも言われるラシード=アッディーンでした。彼が模範としたセルジューク朝のニザーム=アル=ムルクと並び、イランの2大政治家と称されています。
ラシードは『集史』の編纂に当たり、当地の学者だけでなく、中国やカシュミールなどからの仏僧の他、キリスト教徒、ユダヤ人の学者等もスタッフに加えています。かくして人祖アダムに始まるヘブライの預言者達と古代ユダヤの歴史、古代ペルシアの王朝史、預言者ムハンマドに始まるカリフ達の歴史、及びモンゴルが滅ぼしたホラズム・シャー朝やイスマイール教団に至るまでのイスラーム諸王朝の歴史、伝説のオグズ=ハンに始まるトルコ族の歴史、やはり伝説の人祖「盤古」に始まり、南宋最後の少帝に至る中国諸王朝の歴史、さらには、「フランク」という名のヨーロッパの歴史が作られました。また、釈迦と仏教の歴史を含むインド史も作られています。ここにガザンの「モンゴル史」を中核に、様々な「世界」の諸地域の歴史をより集めた一大史書が出現したわけですが、それはモンゴルを中心とする「世界」をもはや当然の前提にし、そこに至る「世界の歴史」を史上初めて体系化しようとするものでした。この歴史書は「諸史を集めたもの」の意味で、『ジャーミー・アッタヴァーリーフ』、すなわち『集史』と名づけられました。