読んで得する『十六夜日記』に関連した文章

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①「侍従為相(ためすけ)の君のもとから、今回五十首の歌を詠みましたといって、清書もろくろくしないまま送ってよこされたが、歌も大変うまくなったものだ。五十首のうち、十八首に点をつけたが、それもおかしなことで、親の欲目というものだろう。その中に、
 心のみへだてずとても旅ごろも山路かさなるをちのしら雲
(旅に出た人と心だけは隔てないとしても、身は幾重の山のはるか彼方の白雲のように遠くなってしまった。)
とある歌を見ると、旅先にある母の私を思って詠まれたに違いないと、つくづく思いやられてあわれなので、その歌のわきに小さい文字で返歌を書き添えてやる。
 恋ひしのぶ心やたぐふ朝夕にゆきてはかへるをちのしら雲
(朝夕に行っては帰る遠い空の白雲は、あなたを恋い思う私の心にたとえられるかしら。)
また、同じく旅の題で、
 かりそめの草の枕の夜(よ)な夜なをおもひやるにも袖ぞ露けき
(かりそめの旅に出た人の寂しい夜々を思いやるにつけても、私の袖は涙で濡れてしまう。)
とある所にも、また返歌を書き加えた。
 秋ふかき草の枕にわれぞなくふりすててこし鈴虫のねを
(秋深い草むらに鈴虫が鳴いているが、子どもを振り捨てて旅に出た私こそ泣く外はない。)
また、この五十首の歌の奥の余白に批評の言葉を書き添える。大体の歌の詠み方などを記し付けて、その奥に亡き人々の歌を掲げ、そして最後に、
 これを見ばいかばかりかと思ひつる人にかはりてねこそなかるれ
(亡き父上がこの五十首を見たら、どんなに喜ぶことかと思いましたが、その人に代わって私は声を立てて泣かずにいられません。)」(『十六夜日記』「をちのしら雲」)

②「また、予期もしない事柄で、時も移さず詠み出した歌への返事とか、折り返し詠み出す歌は、現在、たった今、言いたいことを形よく続けましたならば、どんな風情にもまして結構なことであります。小式部内侍(こしきぶのないし)が定頼(さだより)中納言を引き止めて、「まだふみもみず天の橋立」と申したことや、周防内侍(すおうのないし)が忠家大納言と「かひなくたたむ名こそ惜しけれ」と詠み交わした機敏さ(月の明るい夜、人々が物語がしていた時、「枕があればよいのに」といった周防内侍に対して、手枕の腕を貸そうとした藤原忠家〔阿仏尼の亡夫・為家はその5代目に当る〕に対して、「春の夜〔よ〕の夢ばかりなる手枕〔たまくら〕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」と即座に返したことを指します。ちなみに忠家も直ちに「契りありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき」〔縁あって手枕を貸すので、絶対にこれきりにしませんよ〕と応酬しています)などは、凡人の才覚によって、歌道に熟練した位が表われたのでありますから、昔今の区別を申す必要もございません。私など、今はこうした谷の朽ち木同然の身になってしまいましても、そうした優雅な人々さえおりますならば、何で咄嗟(とっさ)に歌を詠んでお相手をすることもなくて済ませましょうかと思われて、その当時の人々がうらやましく思われてなりません。」(『夜の鶴』~初心者向けの指南書でありながら、最後の最後についつい、このような「歌を詠む楽しさ、おもしろさは即詠にある」という作歌に熟練した上でないと不可能な論が飛び出し、思いは我が身に集中して、「ああ、私の周囲にもそのような優雅な人がいたならば」と羨望のため息をついてそのまま筆を置くという、阿仏尼の息づかいがそのまま伝わるような結末になっています。)
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