読んで得する『大鏡』に関連した文章

記事
学び
①「『源氏物語』を平安女流文学の最高傑作とするならば、『大鏡』は平安男性文学の最高傑作であると、躊躇することなく言えるであろう。『源氏物語』はけっきょく王朝の後宮の世界に渦潮の高鳴る愛欲の経緯を描いたものに外ならない。女性はどのように評価しようと、女性の視座でしか人間の世界を見ることができなかった。そこに『源氏物語』の世界最高の古典としての偉大なる存在ではありながら、ひとつの限界を認めざるを得ないのである。『大鏡』は、男の世界を男が描いている。王朝を生きたトップクラスの政治家たちが政権の座をめざし、あるいは高位高官を狙って、いかに執念を燃やし、いかに手練手管(てれんてくだ)の限りを尽したかの軌跡を、血も滴(したた)るばかりの生鮮な筆で描いているのである。そういう意味で、『大鏡』は、王朝の最高の男性文学であると断言できるとともに、現代の政界・財界・学界を問わず、生きて戦う男性の、その生きざまを示唆するバイブルである、といっても、過言ではないと思う。…
 文体的にみても『栄花物語』が平安女流文学の流れを汲むやまとことばの伝統に立つ優雅な女性の文学であるのに対して、『大鏡』は、やまとことばの文学の伝統を生かしつつも、そこに漢文調を加味して、簡潔雄勁(かんけつゆうけい)な表現による新しい男性的文体を創始したものといってよいであろう。」(保坂弘司『大鏡 全現代語訳』)

②「ある年、入道殿下藤原道長公が大井川で船遊びをなされた時に、舟を漢詩の舟、音楽の舟、和歌の舟にお分けになって、それぞれの道に優れている人々をお乗せなさいましたところ、この大納言殿(藤原公任〔きんとう〕、この公任の長男が和泉式部の長女・小式部内侍にやられた定頼です)が参られたので、入道殿下が、「かの大納言は、どの舟にお乗りになるつもりか」と仰せられたので、「和歌の舟に乗りましょう」とおっしゃって、次のようにお詠みになったのだよ。
 をぐら山あらしの風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき
(小倉山に吹く山風が寒いので、風に舞い散る紅葉を身に受けて、誰もが錦を着ているように晴れがましく見えることだ。)
 自分から「和歌の舟に」と申し出られた甲斐があって、見事にお詠みになったものです。ところが、ご自身では「漢詩を作る舟に乗ればよかった。そうして、この和歌ぐらいの詩を作っていたら、名声も一段と上がっていただろうに。残念なことをしたなあ。それにしても、道長公が『どの舟にと思うか』と仰せられたので、我ながらつい慢心してしまった」とおっしゃったそうだ。一芸に優れているということさえ難しいことであるのに、このようにどの道にも卓越しておられたというのは、昔にもないことです。」(『大鏡』第2巻「太政大臣頼忠 廉義公」)

③「亡き女院(詮子〔せんし〕、藤原兼家の二女、道長の姉、第64代円融天皇后)の加持祈祷をなさるために、飯室(いいむろ)の権僧正(ごんのそうじょう)が参上なさいましたが、その伴僧(ばんそう)として観相をする者がついてきました。それを女官達が呼んで人相を見てもらいましたが、そのついでに一人が、
「内大臣殿(藤原道隆、兼家の長男、道長の兄)はどんな相でいらっしゃいます」
などと尋ねると、
「実に立派な人相でいらっしゃいます。天下を取る相がおありです。しかし、中宮大夫(ちゅうぐうのだいぶ)殿(道長、兼家の五男)こそ全く素晴らしい相でいらっしゃいます」
と言います。今度は粟田(あわた)殿(道兼、兼家の三男)のことをお問い申すと、
「その方もまた大変立派な人相でいらっしゃいます。大臣になる相がおありです」
と言って、またも、
「ああ、それにしても中宮大夫殿こそ全く素晴らしい相でいらっしゃいます」
と言います。今度は権大納言殿(伊周〔これちか〕、道隆の二男、道長のライバル)のことをお尋ね申すと、
「この方も大変高貴な人相でいらっしゃる。雷(いかづち)の相がおありです」
と申しましたので、
「雷の相とはどんなことかしら」
と尋ねますと、
「一時は大変音高く鳴る―― 一時は権勢を得るが、終わりを全うしないということです。だから、そのお後がどうおなりだろうかと危なっかしくお見受けします。それにひきかえ中宮大夫殿こそ、まことに際限もなくお栄えになる相でいらっしゃいます」
と、他の方のことをお尋ね申す度に、必ずこの入道殿を引き合いに出しておほめ申し上げます。そこで、
「どんなご人相だからというので、こんなにその都度、引き合いに出しておっしゃるんですか」
と言いますと、
「実はこの道では、第一級の人相としては『虎子如度深山峯(こしにょとしんせんぶ)』ということを申していますが、これに少しも違っていらしゃらないので、こう申し上げたわけです。この例えの文句は、虎の子が嶮(けわ)しい山の峰を渡るようだという意味です。道長公のご容貌やお姿は、眼前に生きた毘沙門天王(びしゃもんてんおう)の激しいご威勢を仰ぎ見るようでいらっしゃいます。ご人相がこんなにすばらしいという以上は、どなたよりも勝れていらっしゃるわけです」
と申したといいます。実に素晴らしい観相の名人でしたなあ。この観相が道長公にお当たりにならないことがおありだったでしょうか。いちいち図星ではありませんか。帥殿(そちどの、伊周)が若い頃に内大臣にまですらすらと昇進なさったのを、人相見が「はじめは運勢がよい」とは言ったのでしょう。さっき帥殿を雷と言いましたが、雷は落ちてしまっても再び昇天するのですから、帥殿の場合は雷ではなく、星が地に落ちて隕石(いんせき)となるのに例えるべきですね。隕石こそ落ちたら最後、再び昇ることはありませんもの。」(『大鏡』第5巻 太政大臣道長 上)

④「このように世の中の光明でいらっしゃいます道長公が、一年ばかり逆境が続いて、伊周公の下位で悶々(もんもん)の思いでいらっしゃったのは、まあ、どのように天道様がご照覧になられたからでしょうか。しかし、そういう逆境にありながらも、少しも卑屈になったり、お心をくさらせたりなさったでしょうか。いや、実にしゃんとしたもので、公的な方面での朝廷の政務・儀式だけは、伊周公の下位にある者として身分に応じてふるまわれ、時刻を間違えることなくちゃんとお勤めになられましたが、私的な方面では伊周公にご遠慮申し上げなさることは決してありませんでした。例えば、伊周公が父道隆公の二条邸の南の院で、人々を集めて弓の競射をなさった時に、突然、その場にこの道長公がお出でになられましたので、道隆公は、
「これは思いもかけないこと、いぶかしいことだ」
と驚きなされて、大変鄭重にご機嫌をとっておもてなし申し上げなさいまして、道長公は当時、伊周公より下級の官位でいらっしゃいましたが、競射の順番を先にお立て申し上げて、最初に道長公に射させなさったところ、勝負の結果、伊周公の当たり矢の数が、あと二本だけ道長公にお負けになってしまいました。すると、父の道隆公も、また、お側づきの人々も、
「もう二回だけ、延長戦をおやり下さい」
と言って、決勝を延長戦にもち込みなさいましたので、道長公は不愉快になって来られて、
「それでは延長なさい」
とおっしゃいまして、再びお射なさるにあたって、
「この道長の家門から天皇・后がお立ちになる運勢があるのなら、この矢は的中せよ」
とおっしゃって矢を放ちますと、的中も的中ながら、何と真っ只中に当たったではありませんか、次に伊周公がお射なさったところ、大変気後れがしてお手も震えたせいでしょうか、その矢は的の辺り近くにさえ行かず、とんでもない見当違いの所を射られましたので、見ておられた父の道隆公は顔色も真っ青になってしまいました。代わって、また道長公がお射なさるにあたって、
「この自分が摂政・関白の職につく運命にあるならば、この矢は的中せよ」
とおっしゃって矢を放たれましたところ、先ほどと同じように、的の割れるほど強く的中なされました。こうなっては、道隆公も今まで道長公をちやほやもてなしていらっしゃった興(きょう)も冷め、気まずくなってしまいました。そこで、父の大臣(おとど)道隆公は伊周公に、
「何で射る必要があるか。もう射るな、射るな」
とお止めになって、すっかり座が白けてしまいました。(それで道長公も矢を返して、そのままご退場になりました。これは道長公が左京大夫〔さきょうのだいぶ〕と申し上げていた頃のことです。道長公はこのように弓が大変お上手でした。また、お好きでもいらっしゃったのです。)道長公の予言が今すぐ実現するというわけのものでもありませんが、道長公のご態度やら、おっしゃる言葉やらの強引な調子のために、もう一方の伊周公はつい気後れなさったのでしょう。」(『大鏡』第5巻 太政大臣道長 上)
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら