読んで得する『源氏物語』に関連した文章②

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③「ドナルド・キーン氏(アメリカの代表的日本学者)に従って、「小説とは散文で架空のことを扱った一〇〇ページ以上の作品」というふうに定義すれば、これこそ世界の最初の小説である。イギリスのウェーレーがこれを英訳したとき(一九二三年)、欧米の読者たちは、その規模の大きさとと、そこに描かれた、それまでには夢にも見たことのない洗練された世界に圧倒されたのである。
 そして、『ドン・キホーテ』や『デカメロン』や『ガルガンチュアとパンタグリュエル』や『トム・ジョーンズ』などと比較してみたわけだが、源氏のほうはそれより数百年古いのである。何でも古くからあるシナでも、小説が出てくるのは元の末から明にかけてであるから、これよりざっと五〇〇年遅い。
欧米でも女子が小説を書くのはアフラ・ベーン(一六四〇~一六八九、『オルーノウコウ』などの作者。英国人)を採りあげても約六五〇年も遅く、もっと小説家として価値のあるジェーン・オーステン(一七七五-一八一七。『高慢と偏見』、『エマ』などの作者。英国人)を採りあげるならば、約八〇〇年遅いのである。ジェーン・オーステンより八〇〇年も前に、彼女より大規模で、彼女より洗練された世界を小説にした日本女性がいたことを、普通の欧米人はなかなか信じようとしない。
 例外的にキーン氏のような人は、源氏の会話は洗練の度が高いゆえに、ヘンリー・ジェームス(『鳩の翼』、『象牙の塔』、『黄金の杯』などの作者)の小説の会話よりもむずかしく、現代の小説家では、マルセル・プルーストの『失われし時を求めて』に一番似ているのではないかということを指摘する。そして同じキーン氏が平安朝を「世界史上、最高の文明」と言っているのは、わが意を得ている。
 紫式部が源氏を書いたのは、単にフィクションを書いただけではない。この物語の中で、紫式部は光源氏を通じて、フィクションというものが、『日本書紀』よりも忠実に、神代以来の人間の生き方を示している、と言わせているのである。そして、そういう空想で作り上げた物語の実用価値も、ひじょうに大きいと言っている。
 われわれは実用価値といえば勧善懲悪(かんぜんちょうあく)を思い出すのだが、紫式部が言っているのは、そんな実用価値の話ではない。彼女が言うのは、小説によって人間性というものがよくわかるから、価値があるのだということである。西欧の近代の文学論が、さも大発見したように言い出したことを、彼女はそれより九〇〇年も前に言っているのである。
もし『源氏物語』しかなかったら、大天才の作品というだけのことで特異現象と言えるであろう。しかし、源氏は富士山であって、裾野(すその)が広大なのである。清少納言の『枕草子』は、女性が書いたエッセイでは、やはり最古のものであろうし、そのエスプリは今日でも光を失わない。
そのほか『伊勢物語』など、ほかの物語の類(たぐい)はいっぱいあるし、紫式部も和泉式部なども日記を残している。女性の日記というのも、やはり日本の平安朝が最初であろう。
 そしてこのほか、もちろん和歌がある。『古今和歌集』(九〇五年)は最初の勅撰集であるが、皇室が率先して文学のアンソロジー(詞華集)を世代が変わるごとに作っていくという手本を示したのは、たしかにキーン氏が言うごとく、高い文明である。」(渡部昇一『日本史から見た日本人・古代編 「日本らしさ」の源流』)

④「桓武(かんむ)天皇は平安京に都をさだめるや、たちまち延暦(えんりゃく)三年、少しの例外を除いて、常備軍を全廃してしまう。日本は、七八四年に、すでに戦争を放棄したのであった。
 それから五百年、侵略戦争であると自衛戦争であるとを問わず、こと日本に関するかぎり、国際紛争解決の手段として戦力が用いられたことは一度もなかった。一二七四年、文永十一年の元寇(げんこう)は、誰が見ても立派な自衛戦争だが、五百年間というもの、この種の自衛戦争すらまったくおこなっていないのである。なんとも徹底した戦争放棄ではないか。
 そのうえ、戦争だけでなく、外交まで放棄してしまった。
 当時の外交として最重要なものは対唐外交であるが、延喜(えんぎ)四年、菅原道真の進言によって遣唐使を廃止し、ここに定常的対唐外交は廃止され、それ以来、本格的なものとして復活することは、ついにないのである。
平安古帝国は、通常、国家の機能として最重要視されてきた、戦争、外交という二大機能を全廃してしまった。政治指導者も国民も、それ以来、まったくの戦争音痴、外交音痴になってしまったのである。
 外国の場合であれば、プルターク英雄伝を読んでも史記列伝を読んでも、偉い政治指導者の類型はきまっている。要するに、戦争や外交において、大きな業績をあげることだ。この点に関するかぎり、古今東西をつうじてあまり変わらないと言えよう。ただ一つだけ例外がある。それが日本だ。
 平安朝時代の日本は、戦争も外交も放棄してしまったので、政治指導者はその分野において業績をあげることはできない。業績をあげるどころか、やるべき仕事もないのである。このことは、史記の、プルタークのと言わずとも、『源氏物語』とトルストイの『戦争と平和』とを読みくらべただけで、一目瞭然たるものだ。
 光源氏は帝のれっきとした皇子であり、のちに太政大臣となるほどの政府高官である。しかも時代はといえば道長の摂関政治確立の時代、荘園システムが平安王朝の経済システムを再編しようとしており、政治的に言っても経済的に言っても、歴史の転換期であり、難問は山積していた。それにもかかわらず、光源氏をはじめ、国政の燮理(しょうり、ほどよくととのえること)に当たるべき堂上の人びとに、政治的関心も経済的関心も、まったく見られないのである。まことに驚くべきことだ。
 もちろん、これは小説であり、筆者が女性である点を考慮に入れなければならないとはいえ、大河小説としては、まことに異常なことである。とういうよりも、この小説が反映しているところの日本社会が、世界史の常識からみて、想像を絶する異様な社会なのである。
 これに比し『戦争と平和』は、同じく大河小説であり、恋愛を主題としながら、そこには政治もあり社会もあり、強大なナポレオンの大陸軍(グランタルメー)に攻められて風前の灯(ともしび)にも似た祖国の運命がある。アンドレーとナターシャとは、光源氏と紫上(むらさきのうえ)とはちがって、真空の宇宙空間で恋愛をたのしんでいたわけではないのである。
このように、平安貴族の思想と行動とは、類例の思い及ばないほど奇妙なものではあったが、話はここでは終わらない。平安王朝が廃止してしまったのは、軍備と外交だけではなかった。国家の機能として、軍事・外交とならんで重要であるところの、法律の維持、これもまた、ないがしろにした。国家の法律である律令(大宝律令、近江令など)は、漸次(ぜんじ)、有名無実なものとなっていったのである。
 ここに驚くべきことは、この国法を有名無実化するという過程(プロセス)は、革命勢力によってではなく、権力者自身によって展開された、ということである。たとえば、摂政を常設することなど、律令国家の原則からすればありえないことであったし、関白にいたっては論外である。権力者の手によって、法(律令)はまげられ、法的にありえぬことが一種の恒例となった。…
 軍事、外交、法と治安の維持という、国家であればいかなる国家であってもなさなければならない最小の必須要件に、平安王朝はまったく無関心であった。これが日本国家の原型となり、フロイトの言う幼児体験のごとく、永く日本人の行動を規定することになる。
 自由放任(レッセ・フェール)時代に言われた〝夜警国家〟とは、軍事、外交、法と治安の維持のみを全責任とし、それ以外には手を出さない国家という意味だが、日本国の本性は、じつは、この夜警国家の正反対なのである。」(小室直樹『アメリカの逆襲 宿命の対決に日本は勝てるか』)
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