読んで得する『源氏物語』に関連した文章①

記事
学び
①「『源氏物語』の多くの巻々の中で、どれがすぐれて心に染みてすばらしく思われますか、
と言うと、
 『桐壺(きりつぼ)』以上の巻がございましょうか。「いづれの御時にか」と始めたそこの所から、光源氏元服のあたりまで、文章の調子、話の内容をはじめ、しみじみと悲しいことはこの巻に籠っていますよ。『帚木(ははきぎ)』の雨夜(あまよ)の品定めの部分は、たいそう見どころが覆いようです。『夕顔』はただひたすら同情心がそそられる巻のようです。『紅葉賀(もみじのが)』『花宴(はなのえん)』はそれぞれに優美で興味深く、何とも言えぬ巻々でしょう。『葵(あおい)』はたいそうしみじみと興味の持たれる巻です。『賢木(さかき)』は六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の伊勢へのご出発のあたりもあでやかで素敵です。桐壺の院がお亡くなりになって後、藤壺(ふじつぼ)の宮の出家なさるあたりは深く心に染みて思われます。『須磨(すま)』はしみじみと素晴らしい巻です。光源氏が京を後になされるあたりの事どもや、旅先でのお暮らしぶりのほどなど、大そう心に染みることです。『明石(あかし)』は須磨の浦から明石の浦へと浦伝いをなさるあたり。また、明石の浦を離れて京へ戻るあたり。…(と、結局、全巻ほめちぎるという記述が続き、さらに作中女性の品評から作中男性の品評まで延々と続きます)」(『無名草子』)

②「小説とはどういうものかという芸術学上の定義はむずかしいのですが、ごく常識的にいえば、それは普通の人間、われわれと同じような人間の世界を描いた散文芸術である、といっていいかと思います。
 ところが、日本でも西洋でも、どこの国でも文学のもっとも古いかたちは、伝承物語あるいは神話であって、小説ではありません。神話というのは、名前のとおり普通の人間を超えた者―神とか英雄とかを扱う文学で、もう少し現代的ないい方をすれば、そういう神や英雄を媒体にして国家、あるいは民族を描く文学だといえるでしょう。そういう大きなものの象徴として人間が描かれるわけですから、ギリシア神話のばあいであれ、日本の神話のばあいであれ、そこに出てくる主人公は、普通の人間の心理構造とか感情とか性格といったものを持っていません。われわれから見ると、彼らは思いがけない残酷なことをやってみたり、想像もつかない大らかな感情を持っていたりして、それがまた神話の魅力にもなるわけです。日本のばあいもむろんそうなので、『古事記』や『日本書紀』などに現われる物語は、世界的な標準から見ていわゆる神話であるといっていいでしょう。
 しかしながら、日本できわめて特徴的なのは、そういう神話からあまり時をへだてない早い段階で、すでに普通の人間のこまごまとした感情、あるいは微妙な心理関係を主題にした文学が生まれたということです。その代表的な作品が源氏物語であって、たしかに『源氏物語』はその意味で、世界最初の小説であるといっても過言ではないと思われます。
 この『源氏物語』は、実は私たちがあまりよく読んでいない作品で、世界的に名を知られているほどには日本人が親しんでいるとはいいにくいのですけれども、しかしその帖々をひもといてみると、私たちが意外の目を見はるような並みはずれた感情とか、あるいは理解を絶するような行動は、どこにも見あたりません。むしろ読みようによっては、あの美しい文体のかげに、あまりにもドメスティックなというか、ひどくちまちました人間関係が描かれているのに、奇妙な感じさえ受けるほどです。
 ここには早くも、日本の文学のひとつの顕著な特色として、人間くささという性質がはっきりあらわれているように思われます。このばあいの人間とは、くりかえすようですが、われわれと同じような生活感情を持った普通の人間という意味で、しかもその人間はつねにもうひとりの人間と世俗的な関わりの中に生きています。物語のどの章をとっても、そこにはたとえば男女の恋愛だとか、それにまつわる嫉妬だとか、あるいは社会的な栄達や、そこから脱落した人間の心理というふうなものが、事こまかに描かれているわけです。」(山崎正和『室町記』)
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら