『源氏物語』で古文の素養を豊かにする

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【例文】
 いづれの御時(おほんとき)か、女御(にょうご)更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

【訳文】
 何天皇の御代(みよ)であったろうか、女御や更衣が大勢、帝(みかど)にお仕え申しあげていらっしゃった中に、特に高貴な家柄の出ではないお方で、(他の方々より)格別に帝のご寵愛を受けて栄えていらっしゃるお方があった。

【解説】
 1008年頃成立。先行の作り物語や歌物語などの影響を受けながら、五十四帖(400字詰め原稿用紙なら2600枚)から成る完成度の非常に高い作品となっており、後世の文学や芸能に与えた影響は計り知れないものがあります。実際、叙情的で流麗な文体、ふんだんに詠み込まれる和歌、写実的に描写される人間心理の機微、宮廷を舞台に光源氏と多数の女性達との恋愛模様や栄耀栄華への道を描くプロット(話の筋、登場人物は何と400名以上です)など、群を抜いた成果を収めていることは誰も否定できないでしょう。外国でも多く翻訳されており、一時は外国企業の日本駐在員に対して「日本文化を理解するためにはこれを読め」と言われていたようです(そのうち、実は日本人でもそんなにこれを読んでいないことに気づいたようですが)。江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)が、『源氏物語』の本質はしみじみと心にしみとおる情念、哀歓である「もののあはれ」にあると喝破して、これが日本文学の代表的理念を表す言葉となりました。
 『源氏物語』の構成は白居易の「長恨歌(ちょうごんか)」から暗示を受けたとされ、この冒頭文も「いづれの御時か」は「漢皇(当時の玄宗皇帝を避けて「漢皇」とした点が類似)色を重んじて傾国を思う」、「女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが」は「後宮の佳麗(かれい)三千人」、「すぐれて時めきたまふありけり」は「一朝選ばれて君王の側(かたはら)に在り」をそれぞれ受けているとされます。
 この『源氏物語』執筆のエピソードとしては、次のように伝えられています。
「今は昔、紫式部は歌人の優れた者として上東門院彰子にお仕えしていたが、春頃、大斎院(村上天皇第十皇女である選子内親王)より、「退屈しておりますが、何か適当な物語がございましょうか」とお尋ねになったので、上東門院は御草子などをお取り出しになさって、「どれを差し上げたらよかろうか」などと言われてお選びになった。紫式部は「皆見慣れておりますので、新しく物語を作って差し上げなさいませ」と申した。そこで、院が「それではそなたが作りなさい」と仰せになったので、源氏物語を作って差し上げたとのことだ。」(『古本説話集』「伊勢大輔歌事〔いせのたいふがうたのこと〕 第九」)
「それにしても、この『源氏物語』を作り出したことは、どう考えても現世においてだけではなく、前世からの因縁にもよろうかと珍しく思われます。本当に仏に祈願した、その効き目だろうかと思われます。この物語より後の物語は、考えてみるとたいそう簡単なはずです。『源氏物語』を一つの知識として作ったら、『源氏物語』より勝(まさ)ったものを作り出す人もきっとあることでしょう。それがわずかに『宇津保物語』『竹取物語』『住吉物語』(鎌倉時代の『住吉物語』は『落窪物語』を模した継子いじめの物語ですが、その名称は『源氏物語』『枕草子』にも見えていることから、平安時代中期にあった物語の改作と見られています。ここではもちろん原作の方を指しています)などぐらいを物語として見ていた程度で、あれほど傑作に作り上げたのは、普通の人間の仕業とも思われないことです。」(『無名草子』)
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