【例文】
今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、万(よろづ)の事に使ひけり。名をば讃岐の造麻呂(さぬきのみやっこまろ)となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光たり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。
【訳文】
今ではもう昔のことであるが、竹取の翁という者が住んでいた。(その竹取の翁は)野や山に分け入っては、竹を取ったりして、いろいろな道具を作るのに使って(暮らして)いた。その名を、讃岐の造麻呂(さぬきのみやつこまろ)といった。(ある日のこと、いつも取る)その竹の中に、根もとの方が光る竹が一本あった。(翁が)不思議に思って(そばに)近寄って見ると、竹の筒の中が光っている。それをよく見ると、(中に、身の丈)三寸ほどの(小さい)人が、たいへんかわいらしい姿で入っていた。
【解説】
910年頃成立。『源氏物語』に「物語の出(い)で来(き)はじめの祖(おや)」と記されていて、「作り物語」(伝説などを元に創作された長編の物語)の最初に位置づけられます。「作り物語」の系譜はさらに『宇津保(うつほ)物語』『落窪(おちくぼ)物語』と引き継がれていき、もう一つの伝統たる「歌物語」(和歌が詠まれた場面を紹介する短編集)の系譜(『伊勢物語』に始まり、『大和物語』『平中[へいちゅう]物語』を経て、『源氏物語』に流れ込む)と共に『源氏物語』に大きく結実します。
また、こうした「物語文学」は宮廷社会を中心としたもの(ひらがなの普及が散文文学にも大きな影響を及ぼし、物語・日記・随筆など多様なジャンルの作品を生み出したわけです)ですが、そうした貴族文学とは別に広く庶民の間で愛され、世々語り継がれていった「説話文学」(「説話」とは人の口から口へと語り継がれる世の中の珍しい話のことです)と呼ばれる流れがあったことも見逃せません。これには「仏教説話」(世俗の人々に対する説教の材料として僧侶の間で重んじられたものが、仏教説話集としてまとめられたのであり、宮廷貴族に対するもう一方の教養の柱が寺院僧侶であったことが窺えます)と「世俗説話」があり、総じて教訓的色彩が強いものです。すでに平安初期には僧景戒(きょうかい)による仏教説話集『日本霊異(りょうい)記』(822年頃成立)があり、これは『竹取物語』の出現に先立っています。平安時代後期になると、世俗説話の要素が増え、和歌に関する世俗説話と仏教説話から成る『古本(こほん)説話集』などを経て、質量共に説話史上の最高とされる『今昔(こんじゃく)物語集』(1120年以後成立)が出現します。これは鎌倉時代の「軍記物語」に多大な影響を与えています。
鎌倉時代以降も説話文学の流れは続き、世俗説話の流れとしては『宇治拾遺(しゅうい)物語』(1213年以後成立)、『十訓抄(じっきんしょう)』(1252年成立)、『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』(橘成季〔たちばなのなりすえ〕、1254年成立)、仏教説話の流れとしては『発心(ほっしん)集』(鴨長明〔かものちょうめい〕、1216年頃成立)、『沙石(しゃせき)集』(無住道暁〔むじゅうどうぎょう〕、1283年成立)などがあります。また、室町時代になると物語の読者も一般庶民にまで広がり、「近世小説の祖」とされる『御伽草子(おとぎぞうし)』(有名な「鉢かづき」「一寸法師」「物くさ太郎」「浦島太郎」といった作品が含まれています)が生まれ、江戸時代の「仮名草子」につながっていきます。