【概念の食い違いについて】
ある「もの」の名前を言い表わすのに、言語ごとにそれぞれ単語(名詞)を持ちながら、しかも微妙に言い表わす範囲が違うということはよくあります(したがって、「完全翻訳」は難しい話です)。例えば、日本語では「水」と「湯」は区別されます。そして、温度や感覚によって、「冷たい水」「熱いお湯」「沸いているお湯」などと言ったりしますが、英語では同じ「もの」をcold water, hot water, boiling waterと表現し、全てwaterとしてとらえていることが分かります。つまり、「水」=waterではないのです。これは「認識・意識の違い」であり、それが表現されると「概念の違い」となるわけです。したがって、言語が違えば、それによって認識・意識も変わり、概念も変わってくるので、当然、発想形式や思考様式も変わってくるわけです。逆に同じ言語を使えば、共通の発想形式・思考様式の土台に立つわけで、「世界共通語」の要請はここから出てきます。実際に現在、「世界共通語」となり得ているのは、数学とか音楽とかスポーツといったもので、「学問・芸術は国境を超える」ということはあながちウソではありません。
【数詞】
「数の観念」を持った、ということは実は大変なことです。未開社会での生活なら、せいぜい100までの認識ができれば十分生活ができるでしょう。ところが、生産力の発達や思考力の発達、抽象化の進展によって、大変な数のレベルまで認識の中においています。例えば、日本の国家予算100兆円、GDP500兆円と言われても、身近に接することのできる金額ではありません。しかし、こうした「数の観念」を駆使することによって、経済規模を比較したり、予算を立てることができるわけです。目の前にあるものを「1つ、2つ、3つ…」と数えていた段階から、抽象的な「数の観念」を持つに至って、思考が格段の飛躍を遂げたのです。
【時間の観念】
子供にとっては、「世界は現在のみ」ですが、やがて、記憶の働きに助けられて、過去の経験・体験が現在の意識の中に出てきます。冷静に考えてみると、「昨日と今日」「前と今」という「時間観念」を駆使し始めるということは、大変な意識の飛躍であることが分かります。何となく親との会話の中で成長していったことが、実はすごいことだったのです。さらに過去の記憶の蓄積から、今度は未来に対する意識、想像や予測といったものが生まれてきます。これは動物には無いものです。動物も過去の記憶は持ちますが、それによってまだ見ぬ世界を想像(創造)することはできません。ちなみに動物と人間の決定的違いは「言語」「道具」「火」を使うことだと言われますが、高等動物であれば彼らの鳴き声でコミュニケーションを取っていることが確認されていますし(コミュニケーション言語はあるということでしょう)、サルが初歩的な道具を利用することも観察されています。さすがに火を使う動物はまだいませんが。そこで、より本質的な人間と動物の違いとして、「創造性」と「宗教心」が挙げられています。確かにサルが芸術作品を作り出したり(サルのペインティングを「芸術作品」と称して売ることはありますが)、お祈りをしているなどということは今後もないでしょう。