実際の小論文出題例に学ぶ③:山梨県立大学看護学部看護学科

記事
学び
 次の文章を読んで、下線部の患者側、医師の側からの考え方について、あなたはどのように考えるか800字以内で述べなさい。

延命措置 尊厳ある死は自分で決定
 このごろ、医師が末期患者の人工呼吸器をはずしたところ、これは殺人だとして警察が捜査したり、マスコミが騒ぎ立てたりすることが、しばしば起こっている。
 末期の患者が呼吸器をつけるのは、自発呼吸が停止してしまった場合で、ふつう喉を切開して呼吸器をつけるかどうかは、患者の許可を得てやることである。
 患者は意識がなくなり、自発的に食事をとることが不可能になると、栄養補給によって延命措置がとられる。大脳の機能が破壊され、二度と意識がもどらない状態を植物状態というが、半年も植物状態になったときには、延命措置を止めてもらうようにという生前の意志表示(これをリビング・ウイルという)を残した人が延命措置をやめてもらう、具体的には栄養補給や呼吸器の使用をやめてもらうのが尊厳死である。尊厳死には、二度と意識がもどらぬ状態では人間として価値ある働きができないという思いと、現在の医学の力では栄養補給を完全におこなえば、意識のない体はいつまでもいきつづけられるという事実とがセットになっている。
 十年二十年と植物状態で生き続け、家族は老いていき、その間に医療費を負担しなくてはならないというのが、果たして医療行為と言えるのだろうかという疑問が提出されたのが76年カレン裁判であった。アメリカのニュージャージー州で、カレン・クインランという若い女性が植物状態になった。このような状態でも栄養補給を続ければ、カレンは三十年、四十年と生きていき、老いていく。これは、人間の尊厳を守る行為ではないから、延命措置をやめてカレンを自然死させてほしいという訴えを両親が裁判所に起こしたのである。結果は裁判所の決定で延命が打ち切られ、カレンは死んだ。これが尊厳死である。
 これとはちがって意識ある患者が、もう医学的には助からないと知り、しかも病気により非常に苦痛を覚える時に、自分の命を絶ってしまうように医師に頼むのが安楽死である。
 尊厳死には意識の喪失と回復不能の病状で、時として病気になる前の本人の意思表示である。安楽死は、末期の苦痛のなかで、本人が「こんなに苦しいのなら、死なせてくれ」と意志を示し、それに医師が従ったばあいで、今の日本の法律では殺人になる。
 しかし、みずから死を選ぶという点では尊厳死と安楽死は似たところもある。これを私は、こう区別している。安楽死のうち、患者本人の意思表示で死にいたる積極的な行為を、いわゆる安楽死と呼び、意識を失い回復不能の状態で延命措置をやめてもらう消極的安楽死を尊厳死と呼ぶと考えている。
 カレン裁判の結果を肯定したのが、80年にローマ法王庁を出した「バチカン声明」である。患者の側から言えば、「すでに回復不能の診断が下がっている患者が治療を否定しても、それは自殺ではない」、医師の側から言えば、「医師の能力によって回復不能状態になったときに、苦しみだけの延命行為をやめても殺人にはならない」というのだ。
 安楽死や尊厳死への誤解が日本では多い。私自身は日本尊厳死協会に入会して、植物人間になったときには延命の行為をやめるようにリビング・ウイルに署名している。自分の死に方は自分で決めるしかないのだ。 
出典:朝日新聞 2006年4月8日 私の視点 加賀乙彦
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら