とにかく日本で一番になりたかった!

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コラム
21歳で正式にJAF公認のレースに出場した…

18歳で免許を取って暴走族にも参加していたが、喧嘩はあまり好きではなかった。
でも、人一倍目立ちたがり屋で負けず嫌いだったと思う。
集会の途中や帰りに捕まったりしたので、暴走族をやめてストリートで単独で走るようになった。

その頃は暴走族は悪い子。
ストリートゼロヨンは良い子
みたいなイメージでしたね。
なんと言っても雑誌で良い子のゼロヨン大会〜〜なんて企画も沢山ありました。
そんなこんなで、元暴走族の先輩達がストリートのレーシングチームを作っていた。
私もおのずとそこに参加するようになった。

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3台目となるフェアレディZ(昭和47年式)

始めは単なるツーリングがメインの集まりであった。
なぜか暴走族の名残なのか毎週決まった曜日にメンバーが全員集まってミーティングをやるというしきたりだった。
基本昭和のガキは集まるのが好きだった。
実際に休みの日や平日の夜もツーリングに行ってたので、今考えると信号はちゃんと止まるが改造車でみんなで走りに行くので暴走族と大して変わらなかった。(もちろんチームのステッカーは作りました)

そう思うと、自分たちを正当化するのにある程度法律の中で主張すればいいんだなって思うようになった。

そんな事をしていた頃にホリデーオートと言う雑誌がストリートゼロヨンを取材したいと私の先輩に依頼が来たという。
東京はもともと青山通りの246号でシグナルグランプリが行われていた。
青山ピットインと言うお店に集まっている連中が始めたと言われている。
しかし、青山といえば渋谷と六本木を結ぶ都心の都心・・・
何十台も集まっていたらすぐにおまわりが来て検挙されてしまう。

そんな背景もあり、青山で走っていた連中が今でいうベイエリアに移動してストリートゼロヨンを始めたのです。
その頃は有明ゼロヨンと言われ、まだお台場や豊洲のあたりは何もなく人も夜は誰も居ない時代だった。
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1台目のケンメリもナスカーに憧れて何故かゼッケン07

話は戻り、ホリデーオートの取材が来ると言うことで先輩達に誘われていわゆる府中試験場の前の道でストリートゼロヨンが始まったのである!
当初はまだ20〜30台くらいの車がどこからともなく集まり、路肩に停まっている車に合図をするとどこからともなく、スターターが出てきてゼロヨンが始まる。
そんな中に私もいつも居た。
昭和58年頃の東京はまさにこんな感じだった…

それから毎週、府中に集まる車が増えていったのを今でも鮮明に記憶している…
私が自然とゼロヨンにハマっていった理由、それは幼少期のあのテレビで流れていたアメリカのドラッグレースの映像だったのかもしれない…

To be continue…
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