勉強を頑張った学生時代だけど、勉強しかしなかったなと思う時がある。

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コラム
私は運良く勉強が得意な子どもで、高校も県では有数の進学校に通ったし、大学も地元を出て東京の学校に通えました。

親の経済力もありましたが、勉強は選択肢を広げるひとつの武器になるなと、東京に出てきた経験から思っています。

親がお金を出してくれ、かつ、私が勉強を頑張れたから好きではなかった地元から離れられたし、夫とも出会えました。

高校時代は1年に360日は学校に通っていたと思います。
土日なんかも教室が開いていて、自習ができるようになっていたので。

そもそも時間が足りなく、苦手教科の予習は捨てていたくらいでした。
そんな環境でよく生きのびたなと感心します。

勉強は未来を切り開いてくれる。
私はそう信じています。

でも、私は勉強しかしなかったなと思う時があるのです。
もっと言えば、テストの点数の取り方だけは上手になったな、と。

この勉強に対する自信とコンプレックスはなんなんだろうなと思ったので、ちょっと考えてみようと思います。

勉強はできるが、頭は良いのか。
私がひとつ自分に対して自信を失うきっかけになったのは、就活ではないかと思っています。
就活そのものよりも、あの時期に読んでいた就活に対するネット記事と言いましょうか。

就活や働くことに関する記事のないような今も昔も変わっていないのではないかと思います。

ひとつ、女性がいかに働きづらいか。

ひとつ、本当に優秀な人間はどんな人か。その見分け方とは。

この辺りが、私がよく読んでいたものだったと記憶します。

前者を読み、鬱屈とした気分になり、後者を読み、学歴の割に使えないと思われたらどうしようと不安になりました。

「高学歴だけど仕事はからっきし」のような記事をよく見かけ、読んでしまったからでした。

私の学歴は、みるところから見れば高く、あるところから見れば別に高くもないもので、自分が社会から見てどうなのかよくわからなくなっていました。

書いているように、私がどう見えるかなんて、見た場所から変わるんですけどね。
当時は何か答えがひとつあるかのように感じていた、あるいは信じていたのです。

それが見つからなくて足掻いていたのかもしれません。

そして、勉強ができると頭が良いはイコールではないという文章もよく見かけていて、
「私は頭は良くないのかもしれない」と自信を無くしたりしていました。

自惚れてはいけない。
そうは思いますが、たかがネット記事の内容に自信を奪われるとは情けない。

でも、実際、私は自分に自信が持てなくなったのでした。

勉強は好き。でも勉強以外は?
振り返れば、習字も習いましたし、ピアノも毎日弾いていましたし、部活だって熱中しました。

それなのに、なぜ自分は勉強しかーテストで高得点を取る訓練しかーしてこなかったと感じるのか。

高校時代は同期と馬が合わず部活は幽霊部員でしたが、大学時代はまた打ち込み始めました。
高校時代は勉強一本だったため、大学時代はよく遊んでいました。
カラオケでオールするのもとても楽しかった。

逆に、大学時代は勉強をした感覚はありません。
単位はたくさん取ったんですけどね。
成績もそう悪くはない。

でも、なぜか勉強した気にはならなかった。

私には勉強しかしなかったコンプレックスと、勉強しなかったコンプレックスがあるようです。

日常生活で家事なんかのお手伝いをしなかったからでしょうか。
小学校高学年くらいから家事なんてさっぱりでした。

母親も、家庭科の宿題を私の代わりにミシンで作ってくれたほどです。
今思えば、あれは私に作らせて欲しかったな〜と思わないではないですが、私が疲れたのなんだのごねたのかもしれません。

私は良い成績を親に求められていたような感覚でもあったのでしょうか。

なんでもやればそこそこできる子どもでした。

習字も、一番上の成績で級や段が上がって本に私の作品が載ったり。
ピアノでは、学校の合唱コンクールで伴奏者賞を取ったり。
部活では、県では大したことないけど、市では優勝したことがあったり。

下手にできたせいで、成績を喜ばれている気持ちにでもなっていたのでしょうか。
それとも、「そこそこ」でしかないことがコンプレックスなのでしょうか。

思えば、何かを極めた記憶はありませんね。

まともに社会人であったことがない。
私は新卒でITの会社に入ったのですが、きちんと選んだつもりでも長時間労働でした。

配属先が悪かったとも言いましょうか。
同期は定時退社してたんですけどね。

部署は同じでも、チームが違うとこうも違うか。

とにかく、定時からが本気出す時間と思うほどだった記憶があります。

そんなところで攻撃力も防御力も0とか1な新卒がやっていけるわけがない。
年明けには鬱になって休職→退職の運びとなりました。

今は日常生活は送っていますが、当時は寝てしかいられなかったですね。
寝て、泣いて、夕方にはなんだか寂しさのようなもので胸が苦しくなって、当時同棲していた夫が帰ってきてどうにか落ち着く、というような生活でした。

よくここまで回復したな。

回復はしたのですが、どうしても雇用されての仕事が続かない。
一度この病気になると、ストレス耐性がぐんと落ちるようです。

ストレスがない仕事なんてないと思うので、なんだかもう二度と普通には働けない気がしてきた。
来週にはパートの面接があるのに。
なんてことだ。

で、こうして仕事が続かないことが現在最も大きなコンプレックスなわけです。

夫は毎日勉強して、転職で年収アップもして、その後も図に乗らず勉強を続けて。
もう頭が上がらない。

その分、家事は私ですが。

本当のところ、家事は最悪いいとしても子育てはもう少しして欲しい気がしないでもない。
でも、今の生活リズムじゃ娘と一緒に起きるのは無理だもんね。

家事で家庭に収入が発生すればこのモヤモヤも消える気がするんですが、残念ながら家事はそういう営みではない。

本当、悪いのは私の長時間労働させたあの会社なのに、なんで私が今でも苦労しないといけないのでしょうね。

体が弱くなっても、テストには合格できた。
さて、鬱になって休職して退職して再就職してまた退職して、パートも続かず自信がなくなっていく中で、医療事務の資格は取れ、心理系の大学院にも合格できました。

どちらもマークシートの問題だったので、対策も取りやすかったです。

これは我ながらすごいと思うのですが、働こうと思ったら、答えないなんてないところに作り出すのが仕事なわけですよ。

ここが、私がしてきたお勉強とは違うところ。

だから、自分は真に頭が良いわけではないと思うのかもしれません。
大学院も、結局また体調を崩して辞めましたしね。

得意だと思っていた学校も続かなかったので、もうなんなら続くのかと。
続かないなら資格を取っても、入試に合格しても意味がないじゃないですか。

何かを続けるための入口が、資格や合格だったりするのに。
朝っぱらから悲しくなってきた。

夫がいなかったら人生どん詰まり。
そんなこんなで、私は絶望的にお金が稼げないのです。
夫が頑張ってお仕事をしてくれているから生活していけてますが。

そもそもよく結婚してくれたと思う。
夫すごいな。

でも、だからこんな自分が申し訳ないですし、お金を稼ぎたいのですが、できない。
そうやって私がへこたれているうちに、夫は勉強を続け仕事を頑張るのです。

うう。

私は学生時代(特に高校時代)に勉強を頑張りましたが、良い会社に入っていっぱいお給料をもらうためでした。
それが、どう足掻いてももうできない!

夫は何か勉強したらとは言ってくれるのですが、収入に繋がらないのに?
今更何を勉強しろと?

まあ、確かに世間に疎くはなりたくない。
常識は押さえておきたい。

でもな〜、今から勉強しても正社員なんて無理だし、採用されても続かないし、パートも自信ないし、この前辞めたばかりだし。

数打てばやれるパートに出会えるのでは、と夫は言いますが、本当かいな。
また泣くことになりゃしないだろうな。

勉強の否定は、私の人生の否定だな。
どうやら、今働けなくなってしまったことを、過去から理屈づけしたかったのではないかと思いました。

こういう育ち方をしたから。
こういう育て方をされたから。

でも、やっぱり振り返ってみれば勉強頑張ってよかったじゃんとは思います。

悪いのは私を長時間労働させたあの会社、あいつだけだ。

勉強ばっかりしてたから、今こうなったのだ。
勉強じゃなくて、他のことをやればよかった。

そう思うのは、やっぱり私の人生を否定しすぎるなと気づけました。

お金を稼ぎたい、でも稼げない問題はまだまだ続くでしょうが、悪いの今までの私にしたくはないなと思いました。



勉強を頑張ってきてよかったね。
今の私で在れてよかったね。

自分に不満はあるけど、どうにか幸せには生きているよ。
小さな頃から望んだ形ではないけれど、まあ、幸せには生きているよ。

望んだ形で満足できないだけで、幸せなのだ。
それがどうしようもなく悔しいだけで。
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