皆様、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?
今日は戦災孤児についてのお話です。
『火垂るの墓』を見たことがある方は意外と多いのではないでしょうか。
主人公の清太と節子は戦災孤児でした。
自分自身、初めて火垂るの墓を拝見した時、節子の遺骨が入った飴玉の缶が投げられるシーンから涙が止まらなくなりました。
節子の遺骨を投げた方や清太が死ぬ間際に良くない言葉を投げかけた人たちの描写はリアルで、嘘がないと感じました。
世の中は、心優しい人間ばかりではありません。
悲しいことですが、死んでいく人間を平気で踏みにじってくる人間は存在します。
何度見ても、同じ場所で涙が止まらず、過呼吸になるほど泣いてしまいます。
作られた作品ではあるものの、映像を通して戦災孤児が感じてきた感情が流れ込んでくるような感覚に陥り、涙が止まらなくなります。
戦争が終わった頃、戦災孤児は多く存在していました。
節子のような子も、清太のような子もたくさんいたのではないかと思います。
実際、終戦直後の東京上野駅には多くの戦災孤児が存在していました。
多くの子は、段ボールや新聞紙にくるまって過ごしていました。
みんな生きるために必死だったと思います。
頼る人がいなくなり、世間の冷たさを思い知ったのではないかと感じます。
そんな孤独や絶望を感じながら死んでいった子は多いと思います。
生き残れた子たちの中には、良くない道に進んだ子も多かったです。
本当に悲しい話ですが、犯罪に手を染めなければ生きられなかったのだと思います。
死んだ両親がその姿を見たらどう思うかと考えると、苦しくてたまりません。
運良く生き残れても、ずっと心にしこりは残ったままだったのだと思います。
お母さんに甘えたい、大人になってもそんな気持ちが残っていたかもしれません。
戦災孤児の世界は、本当に弱肉強食の世界だったと思います。
まさに、強ければ生き、弱ければ死んでいく世界だったのではないかと感じます。
家族がいなくなった悲しみに暮れる時間もなく、今を生きることに必死だったはずです。
いろいろな理由で死んでしまった戦災孤児たちのことを考えると、重い気持ちになります。
自分自身も孤独を知っているからこそ、本当の孤独にまみれた世界に生きた戦災孤児に共感してしまいます。
両親のいない子供は、多くの方の餌食になったはずです。
言葉で表現すると、単調な言葉に聞こえるかもしれませんが、本当に苦しかったと思います。
血の吐くような気持ちで、毎日生きていたのではないかと思います。
助けてくれる人がいない、本当の意味で自分を愛してくれる人がいない世界で生きるのは毎日が試練です。
戦災孤児に関しては、暴力を振るわれることが多かったのではないかと思います。
そこに合わせて、飢餓に苦しんだ子も多いと思います。
このような状態の中で、死んでいった子たちが居たのだと思うと、申し訳ない気持ちになります。
戦争で死んだ人たちのことを考えると、本当に言い表せない苦しい気持ちになります。
助けてあげたかった、戻ってきて欲しい、そんな言葉が頭の中を駆け巡ります。
どれだけあの時代を懐かしく思っても、結局、過去に戻ることはできません。
亡くなった命は二度と戻ってきません。
死んだ人たちのことを考えると、自分が生きていることが本当に申し訳なくなります。
自分自身、日常を生きるのは今でも辛いです。
そうではありますが、
○白いご飯が食べられる
○夜、堂々と電気をつけることができる(戦時中は外に電気の光が漏れないように灯りを落としたり、どの家も工夫していました)
○毎日お風呂に入れる
○毎日、洗濯した新しい服を着ることができる
○モンペ以外の服を着れること
当時はどれも普通にできなかったことです。
今、当たり前にこのようなことができることが本当にありがたいと感じます。
あの人たちが夢見ていた日常を暮らせていること、忘れたくないです。
それと同時に、やはり申し訳ない気持ちになります。
今でもご飯を食べていると、あの人たちも好きなだけご飯を食べたかっただろうなと思うことがあります。
好きなだけ水を飲めることも本当にありがたいと思います。
もうすぐ終戦記念日が近いからか、深く深くあの当時のことを考えてしまいます。
以前もブログに書いたのですが、硫黄島の砂が家にあります。
硫黄島の砂は、米軍の方から譲り受けた当の本人が気持ち悪がって、最終的にゴミ箱に捨てられました。
硫黄島の砂を持っていたら、呪われるとみんなが騒ぎ、怖がっていました。
ただ、自分はゴミ箱に捨てられた硫黄島の砂があまりに可哀想で、家に持ち帰りました。
それ以外にも、持っていると気持ち悪いからと硫黄島の砂をもらったこともあります。
当時、自分は子供でしたが、気持ち悪いと言われる硫黄島の砂が入った小瓶が可哀想で仕方がありませんでした。
今でも、硫黄島の砂の入った小瓶を持つと硫黄島であったいろいろなことが伝わってくる感覚があります。
硫黄島の砂はたしかに、多くの血を吸い取ってきたのだと感じます。
多くの方の最後の瞬間だったり、そのようなものを考えると、人間の惨さを感じるのが正直な気持ちです。
それと同時に、「生きたかった」という声が聞こえてくるような気がします。
小瓶を持つたびに真っ白な感情になります。
真っ黒な感情とも言えるかもしれません。
人間の真っ白な部分と真っ黒な部分の両方を感じます。
人間の酷い部分だったり、純粋に生きたいと言う気持ちだったり、いろいろなものを感じ取ります。
米軍の方にとっては、勝利した場所の土であるから良いものなのかもしれません。
ですが、日本人である人々からすると、硫黄島の砂に良い印象がないのが正直なところだと思います。
そのような場所の土を持ち帰ることには、正直疑問を抱きます。
今は持ち帰ることを禁止されていると思いますし、硫黄島の砂は本来は硫黄島にあるべきです。
米軍の方は戦利品のような感覚で持ち帰って、多くの方に配ったのだろうと思いますが、その点も自分としては悲しく思います。
どうにかして、米軍の方の砂の持ち帰りを禁止出来なかったのだろうかと思ってしまいます。
時代の波に飲まれて、自分のところに来たのだと今は思っています。
いつか硫黄島に返すことができればと思っているのですが、なかなか難しいのが現状です。
死んだ方々は、もう帰ってきません。
死んだ方々が最後に苦しんだ瞬間が消えることもありません。
心臓の根が止まって初めて、本当の意味での苦しみから解放されたのかもしれません。
自分にできるのは、戦争で犠牲になった人たちのことを忘れないことだといつも思っています。
戦争で死んだ人たちを全体の数で見るのではなく、個人を知っていくと言うことが大事なのだと思います。
皆様も機会があれば、戦争で亡くなった方が残した日記だったり、遺書だったり、読んでみてくださいね。
一人の存在を知ってあげることで、死んだ方が少しでも報われるのではないかと思います。
当時の人たちに想いを馳せることで、気づけることがあるかもしれません。
夏が近くなると、あの時のことを思い出す瞬間が増えます。
皆様がどうか穏やかに過ごせていますように。