原爆ドームで感じたこと

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今日は原爆ドームに行った時の話をします。
数年前、広島の原爆ドームに行きました。

着いた瞬間から死んだ人の魂が残っている感覚がありました。
その感覚はとても奇妙なもので、耳をつんざくような恐ろしい悲鳴が聞こえてくるようでした。
同時に全てが一瞬にして消し去られた感覚も強く感じました。
何も存在しないのに何かを強く感じるのです。

原爆ドームの近くに居ると自分自身があの日あの瞬間にタイムスリップしたような感覚になったのを覚えています。
こういう経験はよくあるのですが、あの場ではその感覚が強烈でした。
頭の中では何度も原爆が落ちてきた瞬間とそこから始まる地獄のような映像が頭に浮かびます。
助けて助けて、熱い、痛い、そんな声が聞こえてくるのです。
あの瞬間、自分の目の前に原爆で傷付いた人達が迫ってくるように見えました。

原爆資料館では恐怖を感じ、帰ってからも恐ろしくて目を瞑ることが出来なくなりました。
目を瞑ると原爆で傷付いた人達の姿が脳裏に鮮明に浮かぶからです。
痛い痛い、助けて、そんな声が聞こえてくるようでした。
すぐ近くに死んだ人達が居るような感覚がずっとありました。
ザラザラとした皮膚を触る感覚まで感じました。

次の日、死んだ人達を思い出してあまりに不憫で可哀想で大泣きをしました。
直後、熱が出てその後一週間寝たきり生活を送ることになりました。
原爆に遭った人の中には寝たきりになりながらじわじわと死に向かった人達も多かったようです。
寝たきりの間、その人達のことを深く考えました。

自分のような体質の人間が行く場所ではなかったのかもしれないと今でも思います。
数日、鬱病のようになりずっと泣いていました。
今でも死んだ人達が可哀想で可哀想で仕方がないです。
数年経った今でも目を瞑ると原爆で傷付けられた人達の姿が脳裏に浮かびます。
それはもうトラウマのようです。

一方で、原爆で死んだ人達の姿に恐怖を感じることに申し訳なさを感じます。
失礼なことではないかと感じるのです。
その人自身が怖いのではなく、原爆によって負わされた傷が恐ろしいのだと思うことで自分の心を落ち着けたこともあります。
実際、原爆で傷付けられた人達は何も怖くありません。
みんな一生懸命、日々を生きていた人達です。
ただ最後の瞬間、原爆によって皮膚をもぎとられ人間の姿を奪われた人達というだけです。

一時期、語り部をしていたことがありました。
それも過去に戦争で亡くなった人に深く感情移入をしたからです。
当時の人達の声を無視することは自分には出来ませんでした。
今でもそのような活動を自分の出来る範囲でしています。
痛いほどに気持ちが分かるからこそ、当時の人の気持ちが分かります。

特攻隊員の遺書にしても文章のひとかけらに本当の気持ちが見え隠れすることがあります。
そういうものに気付いた時、本当に悲しくなります。
心をズタズタに刺されるような感覚です。
このブログを読んだ方が少しでも戦争で死んだ人達に心を寄せる瞬間があれば良いなと思います。

人と会えば人の考えてることが伝わってきます。
建前と本音は基本的に違うものです。
口に出してることと本当に思ってることは違うことが多いです。
そのせいで自分は酷い人間不信になりました。
そこに気付く能力を持っているのは本当に生きづらいことです。
可能ならもっと鈍感になりたいです。
なぜ自分はこんなに人の気持ちが分かるのかと嫌気がさしたこともあります。

けど、ココナラを始めてこの能力が人様の役に立つのかもしれないと思えるようになりました。
そういう意味でも本当に依頼してくださる方、一人一人に感謝しています。
改めて、ありがとうございます。
依頼してくださる方に逆に心のケアをしてもらっているような感覚を覚えます。

長文なので誰も最後まで読んでいないかもしれません。
文章もバラバラで結局何を書きたいのか分からなくなりました。
もし最後まで読んでくださった優しい方が居ましたら、ありがとうございます。
優しいあなたの一日がキラキラと輝きますように。
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