「それくらいのことは我慢しろ」
という人。
では、あなたが他人から「どんなことでも我慢しろ」と言われたら永遠に我慢できますか。その我慢を死ぬまで続けられますか。
いやいや、それはときと場合によるでしょ。
と思った方。
その「ときと場合」は誰が決めているのですか?
「あなた」ですよね。
我慢が必要なときはあります。
でもそれは、一瞬に留めておいてください。
もしご家族や部下に我慢をしてほしいときは、その我慢について「今だけだから」と説明しておけばよいのです。
もし「こういうときは我慢をするもんだ」という意識を持っているとしたら、パワハラ気質がきつめの人です。
我慢を要求することがなぜいけないのか。
我慢に慣れてしまうと危ないからです。
そして、我慢の限界を超えると命に関わります。
誰かに我慢を要求する場合は、その人の命と健康について責任を負ってください。
もちろん、その結果として命や健康が損なわれたのなら責任を問われます。
そこで文句を垂れたとしたら、あなたが「うるさい。我慢しないさい。」と言われても仕方がありません。
我慢は現実を生きるうえで大事な手段です。
でも、これを多用し依存してしまうと、柔軟性を失い未来を閉ざしてしまいます。
人類は「我慢をしないで済むこと」を目指して発展してきたのです。
「この程度は我慢できるだろ・・・」と言う方。
その人が江戸時代や戦国時代にでもタイムスリップしたら、「この程度で・・・」とさんざん言われ、相当な地獄を味わうでしょう。
人類は「我慢をしないで済むように」進化してきたのですから。
自分に我慢できることは、他人に我慢を強要する。
自分が我慢したくないことは、やっぱり我慢しない。
それが人間の弱さというものですが、それを乗り越える知恵と努力があったから今の人類があります。
我慢はしないで済むならしない方がよいのです。
我慢をさせる前にあなたが工夫をしましょう。
「ごめん。今はこれが精いっぱいだ。でもそのうちになんとかするから、もうしばらく我慢してくれ。」
「我慢」という言葉はこういうときに使うのです。
自分自身に対してもそうです。
永遠の我慢はよくないです。我慢することに慣れないでください。
愚痴を言うのも生きる力なのです。
一人で我慢をしない。我慢をさせない。
もっとほかの方法で乗り越えましょう。
我慢を多用し依存するのは不健全な思考であることに気が付いてください。