不足感を癒やす
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学び
こんにちは。
光の翼 ここみんです。
いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪
今現在の状態が
「私」の望みどおりに
なっていないために
願望が生まれます。
「私は、充分ではない。」
という
不足感から
「もっと…だったらいいのに。」
…という思いが生じ、
願望になります。
「私」の中にあるものが
忠実に
世界に映し出されるので、
「私」の中の
「ない」「足らない」が
現実に
映し出されます。
「充分ではない。」
という思いが、
「もっと、もっと…。」
…と追い求めて
苦しくなります。
願望は、
願った瞬間に
叶っていると
いわれます。
一旦願ったら、
すっぱり手放して
安心して
日常のことに
取り組んでいればいいのですが、
自分にとって
重要なものほど、
本当に叶うのかどうか
不安になったり
心配してしまって
何度も
願ったり、
心配して
掘り起こしてしまったり、
…を
「今ここ」で
やってしまいます。
なんとかしようと
もがけばもがくほど、
元々は
シンプルだったものも
難しくなります。
追い求めれば
追い求めるほど
まるで
逃げていくかのようです…。
「私」=世界
の反映なので、
願望が叶ったと
安心している「私」が
映し出す世界には、
願望が叶った
安心している状況が
現われます。
世界には元々
「私」という存在はいない。
他者の存在を通して
はじめて
「私」とは、誰なのか?
を認識できます。
他者がいなければ、
「私」は、
誰なのかを
認識できません。
「私」は、男か女か。
「私」には子供がいるのか。
「私」は、何の仕事をしているのか。
…など。
陰でも陽でも
「他者」の中にあるものは、
「私」の中にもあるもの。
すべての
「他者」=「私」
陽が善、陰が悪と
善悪で
「他者」を
ジャッジすると、
「私」をも
ジャッジすることになります。
世界で
起きていることに
善も悪もなく
すべてOKで
すべてのことが
善悪の区別なく
勝手に起こっていく。
善悪の判断が
不足の概念を
生み出します。
起こることへの
ジャッジがなくなれば
不足もなくなっていく。
不足がなくなると
もう願わなくなる。
願っていない状態は、
充足の状態と同じ。
なんとかしようと
もがいたり
頑張るよりも
のんきに
リラックスして
「今ここ」を
満喫していればいい。
「私」たちの
自由意志とは関係なく
「私」が
映し出す世界で
起こることが
自動的に
起こるのだから
何もせずに
明け渡して
委ねることしか
できないように
なっています。