他者の成功や幸せを喜べる者になる
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学び
こんにちは。
光の翼 ここみんです。
いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪
他者の
成功や幸せを
喜ぶとまでは
いかなくても
最低限でも
肯定的に
捉えられるまでには
なりたいですよね…汗
他者が
幸せだったり
成功しているのが
受け入れられないのは、
「私は、幸せではない…。」
「私は、成功できない。」
…と、いう信念を
無意識下に
抱えているからです…。
実際に
「他者」が
幸せになっているのも
「私」が幸せを
感じられないのも
どちらであっても
忠実に
宇宙のエネルギーの法則に
則っています。
「私」と「他者」を
比較すると、
必ず優劣が
生み出されます。
どちらか一方が優なら、
もう一方は必然的に
劣となります。
優は、肯定
劣は、否定
という、
2元性の
分離の意識です。
「今ここ」で
他者の幸せを喜べない
劣の「私」が、
さらに別の
もっと不幸な「他者」を
見つけ出して
「私」と比較すると
劣だった「私」は
優に変わります。
そうすると
「私」が幸せを
感じられるのは、
「私」よりも
もっと不幸だと認識する
別の他者が
存在するときのみ
…ということに
なってしまいます…。
そして
比較の意識なので、
「私」よりも
幸せな他者が
存在し続ける限り
「私」は
不幸で在り続けます。
どちらの「私」も
外側の
「他者」を軸にして
決めています。
「他人軸」です。
そのように
生きている者は
もはや、
「私」の幸せを
放棄してしまっているか
のようです。
なぜなら、
「私」よりも
もっと不幸な者がいて
「私」が一時的に喜び
安心できたとしても
実質的には
代わり映えは無く
依然、幸せには
なれていないからです。
「私」よりも
不幸な者が現れると喜ぶ
というような
エネルギーが、
どんな
エネルギーか容易に
おわかりになるかと思います。
「私」が与える
エネルギーが、
「私」の受け取る
エネルギー
という
宇宙の法則から
いえることは、
そういった
周波数の低い
エネルギーを
外側に放ち
そのエネルギーを
自分で受け取り、
困難な現状を
自分自身で招いていると
言わざるを得ません。
それには、
「私」の想念に
客観的に
気づいていくことが
必須となり、
自力では苦しくて
なかなか
認めたくないので、
手短に
不幸な他者を探して
喜んだり
安心したりを
やめられないのだと
思いますが、
まずは
スタート地点に立たないと
何も進んでいきません。
「私」が与える
エネルギーが、
「私」の受け取る
エネルギー
であり、
他者が
存在しているかのように
映っていますが、
他者は、
「私」の内側を
映し出す鏡として
そこに
映し出されているに過ぎません。
他者は「私」の鏡で、
「私」と「他者」の
区別はありません。
「私」=「他者」です。
「他者」に
与えているものを
同時に
「私」にも
与えています。
「私」の幸せを
心から望むなら、
どんなエネルギーを
周囲に放っているか
想念の邪悪さに
気づいて
「私」だろうと
「他者」だろうと
別け隔てなく
同じように
大切に扱っていると
「私」の現実が
少しづつ
好転していきます。
「他者」の
幸せを
心から願ったり
喜ぶ様子は、
無意識内に
奥深く記憶され、
エネルギーの純度を
高めていきます。
逆も然り
「他者」の
不幸を願ったり
不幸を喜ぶ様子も
無意識内に記憶され
エネルギーを濁らせます。
両者の
圧倒的違いは、
「私」の放っている
周波数の高さです。
3次元領域での学びは
主として
「私」と「他者」の
分離意識に
集約されていると
個人的には
考えています。
取り巻く環境も
職場や業種
対人関係
起こってくる事象もすべて
もれなく
「私」の放っている
周波数に
見合うものしか
自分の周辺に
引き寄せられません。
「今ここ」の現状が
不満ならば、
「私」の意識を
高めていくのみです。
不幸は
「私」の想念で
創り出しており
思い通りになっていない
不満な現状を
「私」の意識の成長に
役立てていく為の
目安として
活用していきます。
「他者」の
幸せを願うという行為は
「私」の
幸せを願う行為でもあり、
その願いは
周波数が高いので
安々と
それを実現します。
「他者」の
成功や幸せを喜べる
自分への
自己肯定感も
高まっていくので
自力で
満たされて
マイナスな想念を
持つことさえ
憚るぐらいまで
好転していきます。
そうして
苦しみを生み出す
3次元の
分離の意識を
卒業していきましょう。