AIに話しかければ、答えてくれる。それは本当だ。でも私は、娘が「AIとLINEで話したい」と言い出したとき、すぐに「いいよ」とは言えなかった。
なぜか。
以前、こんな記事を書いた。
その記事で書いたのは、ChatGPTに「突き飛ばされた。どうしたらいい?」と相談した子どもの話だ。AIはルール通りに答えた。でもそこには、「怒っているけど、憎んでいるわけではない」という子どもの気持ちも、「激怒したけど、家族を壊したかったわけではない」という父親の状態も、映っていなかった。
AIには、その「間」が見えない。
人間関係はもっとアナログだ。怒りと憎しみは違うし、許せないと関係を終わらせたいは違う。助けてほしいと大ごとにしたいも、同じではない。そういった曖昧な部分を、AIは一律に処理する。0か1か。通報か放置か。加害者か被害者か。そういう切断された判断に、人間関係が吸い込まれていく。これが私の言う「空気と間の問題」だ。
では、AIを使わせなければいいのか。
そうは思わない。私自身、毎日Claudeとコードを書き、文章の構造を詰め、設計の矛盾を指摘してもらいながら仕事をしている。AIなしには今のスピードは出ない。だからこそ、一つの考え方にたどり着いた。
AIが引き起こす問題は、AIをもって対処する。
拒否するのではなく、設計する側に立つ。これが私の「空気と間の思想」における実行だ。
だからボット君を作った。
娘専用のLINEチャットボットだ。ChatGPTをそのまま渡すのではなく、私がプロンプトを設計した。キャラクターは「隣のクラスの若い先生」。丁寧語で話し、難しくなりすぎず、でも適当にもならない。定義に関する質問には正確に答えるルールも入れた。
LINEを選んだのにも理由がある。娘にとってLINEは「友達と話す場所」だ。そこに馴染んでいる感覚で話せるなら、AIとの対話が日常に溶け込む。「勉強のためにこのアプリを使いなさい」と堅いツールを渡すより、ずっと自然だと思った。
そして何より、私がチューニング(調整)できる。娘の反応を見ながら、キャラクターも答え方も、少しずつ変えていける。誰かが設計したAIを渡すのではなく、親が設計したAIを渡す。この違いは、思っているよりずっと大きい。
私が考えるAI時代の人間の役割は、二つだ。
一つは、ビジョンを持つことだ。AIは方向性を持てないからこそ、「なぜそれをするのか」を判断するのは人間でなければならない。もう一つは、AIとのズレ(差分)を正確に感じ取るセンサーになることだ。AIの出力がビジョンとどれだけ合っているか。何が足りなくて、何が余計なのか。それを見抜く力が、これからの人間に求められる。
AIがやれることを、人間がいつまでも手でやり続ける必要はない。ビジョンに沿ったAIの出力に、いちいち茶々を入れる時間も無駄だ。その余った時間と労力を、もっと本質的なことに使う。
目標は、そういう人をたくさん増やすことだ。ビジョンを持ち、AIとの差分を感じ取り、設計する側に立てる人。AIに飲み込まれず、でもAIを最大限に活かせる人。
娘のためにボット君を作ったのは、その小さな一歩だ。「AIを正しく使いなさい」と言うのではなく、親が設計したAIを渡す。何かに詰まったとき、「どう聞けばよかったか」を一緒に考えられる環境を作る。空気と間を大切にしながら、AIと生きていく方法を、娘と一緒に探している。
そしてこれは、私のやりたいことの本願でもある。AIが引き起こす問題をAIで対処し、設計する側に立てる人を増やす。余計な作業を減らして、大切なことに集中できる仕組みを作る。ボット君は、その過程における一つのアクションだ。