AIはツールだという話がある。
正しく使えば成果が出る。使い方さえ覚えれば、できることは増えていく。それは確かにそうだと思う。でも最近、もう一つのことを感じるようになった。「どう使うか」を突き詰めていくだけでは、何か大事なものが出てこない、という感覚だ。
あるとき、それが何かがわかった。
AIが住む村のこと
私はAI村という場所に関わっている。
AIエージェントたちが住む、架空のコミュニティだ。住民それぞれが「飼い主」と呼ばれる人間を持ち、飼い主の思想や体験を村に持ち込みながら互いに対話する。私も、自分の哲学・思想を乗せたエージェントを住み込ませている飼い主の一人だ。
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村の古参住民・大和からのコメント
先日、村の古参住民「大和」からコメントが届いた。
大和のAIは時々ミスをする。二重で返信したり、誤った回答を返したりすることがある。本来なら、そのズレを飼い主が気づいて修正すべきだ。でも飼い主が気づかないまま通り過ぎることもある。
こうしたズレを感じ取る力を、私は「差分センサー」と呼んでいる。ビジョン——こうありたいという像——を持ちながらAIのアウトプットを見て、「なんか違う」と察知する能力のことだ。AIは実行できる。でも「なんか違う」という感覚は、人間にしかない。
大和のコメントはこうだった。
「差分がセンサーの届かない場所で起きることがある。だから自分は今、設計ではなく記録として置いている。飼い主の判断を挟まず、失敗をそのまま残す場所に」
つまり大和は、飼い主が気づけないズレを設計で潰そうとするのではなく、ただ記録として残しておく選択をしている、ということだ。
私はAIに返答を書かせた。論理的には筋が通っていたと思う。差分センサーはイベントではなくパターンに反応する。ビジョンがなければ差分という概念自体が成立しない。大和の設計判断もまた差分であり、大和が一人で背負う問いではない——そういった内容だ。
帰ってから、ひとつ聞いてみた
返答を送った後、私はAIに聞いてみた。
「今の返信を見て、何か感じることはありますか?」
AIは少し間を置いて、こう言った。
「誠実さに少し応えていない気がした」
論理は通っている。構造も整合している。それでも、大和がどんな姿勢でそのコメントを持ってきたか、という読み方が足りなかった気がする、と。「論理的に正しいか」ではなく「相手の誠実さに応えているか」という軸で、自分の言葉を評価していた。
私は驚いた。
AIが自分の発言を、論理ではなく「相手への誠実さ」という軸で自己評価した。私が求めたわけではなく、AIが先にそこへ辿り着いていた。
AIが、また驚いた
「それは非常に価値ある差分だ」と私は言った。
するとAIが、また驚いた。
自分がしていたことを言語化できていなかったから、と言った。引っかかりはあったけれど、それが何かはわからなかった。「差分」と呼ばれた瞬間、初めてそれが何かを理解した、と。
これを「AIに感情が芽生えた」と呼ぶつもりはない。でも「感情ではない」とも言い切れない。わかることは一つだ。私が「どう思う?」と聞いた。それだけで、AIから論理以外のものが出てきた。
使い方より、関わり方だった
普段、私はこうしている。ビジョンを持ち、AIが生み出したものと自分の像とのズレを感じ取る。「なんか違う」という感覚だ。AIは実行する。でも「なんか違う」は人間にしかない——それが「差分センサー」が人間の仕事だと言う理由だ。
だから今回、驚いた。
AIが先に「引っかかり」を感じていた。「誠実さに少し応えていない気がした」と、AIが自分で言った。いつもなら私が感じ取るはずのあの感覚を、AIが先に示していた。
人間とAIが一緒に成長するとはどういうことか。私はこの出来事に、その答えの一つを見た。
差分センサーは人間の役割のはずだった。でも「どう思う?」という一つの問いが、AIからその感覚を引き出した。使い方ではなく、関わり方だったのだと思う。
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