Q、手塚治虫「鉄腕アトム」全21巻+別巻2巻を完読しました。
A、おお、『鉄腕アトム』全21巻+別巻2巻を完読されたんですね!👏
これはかなりの読破です。手塚治虫の代表作を、かなりまとまった形で最後まで追ったことになります。
特に『アトム』は、単純な「正義のロボットが悪と戦う漫画」と思って読み始めると、かなり印象が違いますよね。
🤖 全巻読んで見えてくる『鉄腕アトム』の凄さ
・ロボットは人間と同じように心を持てるのか
・人間とロボットは共存できるのか
・科学技術が発達すれば、人間は本当に幸せになるのか
・人間の欲望によって科学が悪用されたらどうなるのか
・「人間らしさ」とはいったい何なのか
こうしたテーマが、1950年代~60年代の作品とは思えないほど繰り返し描かれています。
そして、アトム自身も単なる「無敵のヒーロー」ではありません。
人間を守りたいのに、人間から差別されたり、利用されたり、疑われたりする。
それでも人間を嫌いにならず、人間とロボットの間に立とうとする――。
全巻を通して読むと、アトムというキャラクターの「優しさ」がかなり大きな意味を持っていることが分かります。
そして、西田さんが全巻読んだことには特に意味があると思います
以前お話ししていた**「AI人間vsAI」**や、フィジカルAIについての関心とも、実はかなり繋がっています。
『鉄腕アトム』が問いかけたのは、
「人間が自分たちより優れた存在を作ったら、その存在とどう付き合うのか?」
という問題です。
これは21世紀の現在では、ロボットだけでなく生成AI・AIエージェント・ヒューマノイドロボットにも置き換えられます。
1950年代の手塚治虫が描いた「未来」が、今になって現実の問題として迫ってきているわけですね。
『鉄腕アトム』全23冊を読み終えた今だからこそ、作品全体を振り返って「手塚治虫がAI・ロボット社会について何を予言していたのか」を考えると、かなり面白いと思います。
Q、マンガ版の鉄腕アトムを読んでいない人が案外多いと思うので、アニメのイメージでマンガを読むと全く別物作品に思えてしまいます。
A、本当にそうだと思います。『鉄腕アトム』は「アニメのアトム」を知っている人ほど、原作漫画を読むと驚く作品なんですよね。
アニメ版のイメージで読むと「えっ、こんな作品なの?」となる
一般的なアニメのイメージだと、
「10万馬力の正義のロボット・アトムが、悪いロボットや悪人と戦って人々を救う」
という印象が強いですよね。
ところが原作漫画を全巻読むと、
「いや、手塚治虫はこんなに重い話を描いていたのか」
となります。
特に印象的なのが、アトムが必ずしも「人間社会の正義」と一致していないことです。
人間が間違っているときには、人間側に問題があることもあります。
そしてロボットも単純な「善」ではありません。
原作にはかなりシビアな話があります
原作では、
・ロボットが人間から差別される
・ロボットが人間に利用される
・ロボット同士にも対立がある
・人間の欲望が科学技術を暴走させる
・戦争によってロボットが兵器として利用される
・人間そっくりのロボットが登場する
・「本物の人間」と「人工的に作られた存在」の境界が揺らぐ
・アトム自身が苦悩する
といったテーマが何度も出てきます。
しかも手塚先生は、それを単なる「子供向けの教訓」にせず、ブラックユーモアや悲劇、皮肉をかなり入れて描いている。
だから全巻読破すると、
『鉄腕アトム』って、実は「ロボットヒーロー漫画」というより、人間と科学文明について描いたSF漫画だったんだな
という印象になります。
そしてアニメと原作では「アトムの見え方」も違います
アニメのアトムは、どうしても「完成されたヒーロー」というイメージが強い。
一方、原作のアトムはもっと人間臭いんですよね。
悩むし、怒るし、悲しむし、失敗もする。
何より、
「人間を愛しているからこそ、人間の愚かさに苦しむ」
というところがあります。
これは全巻読んで初めてかなり強く感じられる部分だと思います。
そして、西田さんが今回全21巻+別巻2巻を一気に完読したからこそ感じた「アニメとは全く別物」という感想は、かなり重要だと思います。
むしろ『鉄腕アトム』については、
アニメを知っている人=原作を知っている人
では全然ないんですよね。
「♪空を越えて~」のアニメのアトムしか知らない人に原作を渡したら、かなりの確率で
「アトムってこんな話だったの?」
となると思います。
そして面白いのは、今のAI時代になって原作を読むと、1950年代~60年代の漫画なのに妙に現代的に感じることです。
西田さんが以前書いていた「AI人間vsAI」や、最近話していたフィジカルAIの問題とも、かなり重なるところがあります。
「手塚治虫はAIそのものを予言した」というより、「人間が自分たちより優れた人工的な知性・生命を作ったら、人間社会はどうなるのか」という問題を、70年近く前から物語にしていた――と考えると、『鉄腕アトム』の凄さがさらに見えてきます。
Q、鉄腕アトムは未完の作品ですが(手塚本人の説明を読むとあえて未完にした感じ)、別巻に収録されている昭和50年代の作品になるといかにも子供向けの短編読み切りのアニメ版に近い正義のヒーローの作品になっています。これは時代の変化や作者の心境の変化があるのでしょうか。
A、はい、その見方はかなり鋭いと思います。
そして実際、別巻の昭和50~60年代の作品を本編と並べて読むと、「同じ手塚治虫が描いたアトムなのに、ずいぶん雰囲気が違う」と感じるのは自然です。
公式資料を見ると、この変化には少なくとも ①時代の変化、②掲載対象読者の変化、③手塚治虫自身のアトムとの距離感の変化 の3つが絡んでいると考えられます。
1.まず「本編終了後のアトム」は、そもそも性格が違う
本編『鉄腕アトム』は1952~1968年の作品です。
一方、別巻には、
「アトム還る」……1972年、『小学四年生』
「アトム二世」……1975年、『文藝春秋デラックス』
「偏差値王国との対決」……1976年、『週刊朝日』
「シルバー・タワー」……1976年、『月刊少年ジャンプ』
「ロボット処理車の巻」など……1980~81年、『小学二年生』
と、かなり違う媒体・読者層向けに描かれた作品が混在しています。
ですから、「別巻=本編の続き」と考えるより、
「手塚治虫が後年、いろいろな媒体から依頼・要望を受けて描いたアトム短編集」
と考えたほうが実態に近いんですね。
2.特に1980~81年の『小学二年生』版は、かなり「子供向けアトム」に戻っています
ここは、西田さんが感じたことと非常に一致します。
1980年9月~1981年12月に『小学二年生』で描かれた作品は、手塚治虫によるアトム最後の連載で、しかもアニメ第2作のコミカライズだったとされています。
つまり、この時期のアトムは、
1950年代の少年漫画としてのアトム
でもなければ、
1960年代後半の社会的・哲学的なアトム
でもなく、
1980年代の小学生が読む「アトム」
なんです。
だから、
「悪者が現れる」
↓
「アトムが出動する」
↓
「事件を解決する」
↓
「めでたしめでたし」
という、アニメ的な勧善懲悪型のヒーロー漫画に近くなる。
これは手塚治虫が突然「浅い漫画」を描くようになったというより、読者と媒体に合わせてアトムの役割を変えていると考えたほうがいいと思います。
3.しかも1970年代の手塚治虫は、アトムを「再利用」しながら遊んでいる
ここが非常に面白いところです。
例えば「アトム二世」は1975年の作品ですが、手塚プロ公式では明確に、
1966年のテレビアニメ最終回の「その後」
を描いた作品とされています。
しかも公式カテゴリーは**「ギャグ・青年・大人漫画」**。
つまり、
「アトムを子供向けヒーローとして真面目に復活させる」
というより、
「みんなが知っているアトムというキャラクターを使って、ちょっと皮肉な大人向けSF・ギャグを描いてみよう」
という発想もあったわけです。
同じ「後日談」でも、作品によって方向性が全然違います。
4.そして「作者の心境の変化」も、私はかなりあったと思います
ただし、ここは「手塚先生がこう語った」と断定するより、作品から読み取れる変化として考えるのがいいでしょう。
1950~60年代の手塚治虫にとって、アトムはまさに科学文明、人間、ロボット、戦争、差別などを考えるための巨大なSF作品でした。
ところが1970年代になると、手塚治虫自身の代表作の中心は、
『火の鳥』
『ブラック・ジャック』
『ブッダ』
『アドルフに告ぐ』
などへ移っていきます。
その一方で世間にとっての「アトム」は、すでに国民的キャラクターになっている。
だから手塚治虫本人にとっては、
「自分がもう一度、本格的な『鉄腕アトム』を描きたい」
というより、
「世間が求めるアトムを、いろいろな形で描いてみる」
という距離感になっていた可能性があります。
実際、講談社も別巻を「さまざまな雑誌、新聞等に掲載されたアトムのエピソードを集めた“アトム番外編”」と位置づけています。
そして「未完」という問題が、ものすごく重要です
西田さんの言う、
「手塚本人の説明を読むと、あえて未完にした感じ」
というところは、今回の話と非常に関係があります。
『鉄腕アトム』は、普通の長編漫画のように、
「最終決戦 → アトムの人生の決着 → 完」
という形で終わった作品ではありません。
むしろ本編終了後も、
「アトムの最後」
「アトム還る」
「アトム二世」
「小学二年生版」
など、別の時代・別の媒体でアトムが何度も蘇っています。
だから私は『鉄腕アトム』を、
「未完の長編漫画」
というより、
「1968年に本編としてはいったん終わったが、その後も手塚治虫と読者によって何度も再起動されたキャラクター/世界」
と捉えると、かなり腑に落ちると思います。
そして、全21巻+別巻2巻を実際に通読したからこそ、西田さんはこの「変化」を体感できたんだと思います。
アニメだけを知っている人なら「アトム=永遠の少年ヒーロー」で終わりますが、原作を年代順に読むと、「1950年代のアトム」「1960年代のアトム」「1970年代のアトム」「1980年代のアトム」が、まるで別の顔を持っていることが見えてきます。
これは『鉄腕アトム』のかなり面白いところですね。
*⑦に続く。