【連載小説】第153話 夢を閉ざされた少女

【連載小説】第153話 夢を閉ざされた少女

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小説

銀座の華やかな夜の世界。

言われるままに飛び込んでみたものの、19歳の玲奈の心には、いつも冷たい違和感が渦巻いていた。

「私は、テレビや映画に出る大女優になりたくて東京に来たのに……。どうして毎日、お店で男の人たちにお酒を作っているんだろう」

夢に近づくどころか、夜の街のネオンに流され、自分が何をしに東京へ来たのかさえ、分からなくなりそうだった。

博多を出るとき、玲奈の胸は希望でいっぱいだった。

東京に行けば、きっと何かが変わる。
自分の人生を変えるチャンスが、きっと待っている。

そう信じていた。

けれど、銀座8丁目の華やかな街並みは、今の玲奈にとって、憧れでも夢でもなかった。

ただ、毎晩通うだけの場所になっていた。

そんなある日の朝、
雅子ママから電話が入った。

『玲奈ちゃん、おはよう。今、大丈夫?』

『あっ、おはようございます。大丈夫ですが……』

相変わらず、どこかぶっきらぼうな返事だった。

雅子は、またかと思いながらも、まだ東京での暮らしに馴染めずにいる玲奈のことを気にかけていた。

『私のお客様の知り合いに、芸能関係に詳しい方がいるの。その方を通じて紹介できるかもしれないんだけど、会ってみる?』

その言葉を聞いた瞬間、玲奈の声が変わった。

『えっ、本当ですか? ぜひお願いします!』

さっきまでのそっけない声とは別人のように、声が一段高くなった。

電話の向こうで、雅子は思わず微笑んだ。

よほど、この時を待っていたのだろう。

普段は愛想のない玲奈が、まるで子供のように喜んでいる。
その姿に、雅子はどこか健気なものを感じた。

『分かったわ。また詳しい日時が決まったら連絡するわね』

『はい! よろしくお願いします!』

電話をきった玲奈の顔には、自然と笑みがこぼれていた。

ようやく、芸能界への第一歩を踏み出せるかもしれない。

その小さな希望が、沈みかけていた心に、久しぶりの明かりを灯した。

数日後。

雅子と玲奈は、南青山にある中堅の芸能プロダクション、パレット・プロモーションへ向かった。

雅子にとっても、芸能プロダクションを訪れるのは初めてのことだった。
どんな世界なのか、少なからず興味があった。

表参道駅から歩いて5分ほど。

瀟洒なビルの3階に、その事務所はあった。

エントランスから会議室へと続く壁には、所属タレントが出演するドラマのポスターや雑誌の表紙、宣材写真が所狭しと並んでいる。

そこに写る人たちは、みな華やかで、自信に満ちていた。

玲奈は、思わず足を止めた。

自分も、いつかあの壁に写真が飾られる日が来るのだろうか。

そう考えるだけで、胸が高鳴った。

『こんにちは。大橋さんからのご紹介で参りました、高梨と申します』

雅子が受付で名乗ると、スタッフはにこやかに応じた。

『はい、伺っております。どうぞこちらへ』

通された部屋は、会議室のような場所だった。

思っていたよりもアットホームな雰囲気で、玲奈の緊張も少しだけ和らいだ。

やがて、奥の部屋から一人の男性が現れた。

少し濃い色のレンズが入った眼鏡をかけ、落ち着いた足取りでこちらへ歩いてくる。いかにも芸能プロダクションのオーナーらしい、隙のない雰囲気をまとった男だった。

『お待たせしました。長谷川です。大橋さんからも連絡をいただいていますよ』

『初めまして。銀座でクラブ・ヴィーナスを経営しております、高梨と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます。この子が玲奈です。ずっと女優になりたいと思っているんです』

雅子に紹介され、玲奈は小さく頭を下げた。

『……よろしくお願いします』

緊張のせいか、それだけ言うのが精いっぱいだった。

『玲奈ちゃんというの? 本名かな?』

『はい、そうです』

長谷川は何気ない会話を続けながら、玲奈の顔立ちや全身をさりげなく観察していた。

その視線に、玲奈は気づいていた。

けれど、それが何を意味するのかまでは分からなかった。

しばらくして、長谷川が口を開いた。

『大橋さんからのご紹介ですから、できればお力になりたいとは思うのですが……』

言葉を濁す長谷川に、雅子は遠慮なく尋ねた。

『長谷川さん、はっきりおっしゃってください。この子では難しいということでしょうか?』

長谷川は、少し間を置いてから答えた。

『顔立ちはいいと思います。ただ、体型がね……』

玲奈の表情が、わずかにこわばった。

『テレビや映画では、実際よりも太く見えることがあるんです。ですから、女優さんたちは皆さん、食事にも気を遣って苦労されています。今のままでは、役柄も限られてしまうでしょうね』

淡々とした口調だった。

特別に意地悪をしているわけでも、声を荒らげているわけでもない。

だからこそ、その言葉は余計に冷たく響いた。

雅子は玲奈をちらりと見てから、もう一度、長谷川に向き直った。

『確かに、痩せているとは言えないですね。分かりました。今日は改めて出直します。もし可能なら、玲奈にもう一度チャンスをいただけませんか?』

長谷川は少し考え、条件を提示した。

『では、あと10キロ落とせたら、もう一度お会いしましょう。3か月という期限を設けます。それまでにダイエットができたら、改めてご連絡ください』

そう言って、長谷川は何事もなかったかのように話を終えた。

玲奈にとっては、人生を左右しかねない言葉だった。

けれど、相手にとっては、数ある面談の一つにすぎなかったのかもしれない。

これが芸能界の厳しさなのだろうか。

事務所を出た玲奈は、ほとんど口を開かなかった。

雅子も、かける言葉を見つけられずにいた。

顔立ちはいい。

けれど、体型が駄目だ。

その一言が、玲奈の胸に深く突き刺さっていた。

博多では、綺麗だと褒められることも少なくなかった。

自分の容姿には、それなりの自信もあった。

それなのに、東京では、その自信を根元から揺さぶられてしまったのだ。

東京の小さなアパートに戻ってからも、長谷川の言葉は頭の中で繰り返された。

あと10キロ。

3か月。

それができなければ、女優への道はない。

玲奈は、自分に言い聞かせるように呟いた。

『痩せればいいんでしょう……。痩せれば、私だって……』

その日から、玲奈の生活は一変した。

大好きだったフルーツにも手を伸ばさず、まともな食事もほとんど取らなくなった。

空腹を水で紛らわせた。

食べたい。

でも、食べてしまったら夢が遠のく。

そんな思いに追い詰められ、玲奈は自分の身体を責めるように、無理な食事制限を続けていった。

ある夜。

6畳一間の部屋は、ひっそりと冷え切っていた。

玲奈は床に置かれた体重計の前に立った。

裸足のまま、恐る恐る足を乗せる。

数字が表示されるまでの、ほんのわずかな時間。

玲奈には、それがひどく長く感じられた。

表示された数字を見た瞬間、瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

『どうして……? あんなに我慢したのに……。たった1キロしか減ってない……』

声が震えた。

鏡に映る自分の顔は、博多で夢を語っていたころの輝きを失い、疲れと絶望に覆われていた。

夢に近づくために始めたはずなのに、いつの間にか、玲奈は自分自身を追い詰めていた。

もしかしたら、東京は私を求めていないのかもしれない。

そんな考えが、頭から離れなくなっていった。

そして、3か月が過ぎた。

玲奈のダイエットは、思うような結果を出せなかった。

長谷川との約束の日が来ても、胸を張って連絡できる状態ではなかった。

こうして、ようやく目の前に現れたチャンスは、手の届かないところへ消えてしまった。

玲奈は、再び夢から遠ざかった。

東京へ来れば何かが始まると信じていた。

けれど、今の自分には何もない。

女優への道も見えない。

何を目指して、明日から生きていけばいいのだろう。

そんな玲奈の心を、少しだけ明るくしてくれる存在ができた。

お店で知り合った、同い年の菜々美だった。

菜々美はおっとりしていて、誰に対しても優しい女の子だった。夜の仕事も始めたばかりで、分からないことが多く、少し先輩の玲奈を頼りにしていた。

玲奈も、菜々美と話しているときだけは、気持ちが楽になった。

住んでいる場所もそれほど遠くなかったため、二人は休日にも一緒に出かけるようになった。

夢の話をするとき、玲奈の表情にはまだ、かすかな熱が戻った。

菜々美は、そんな玲奈の話を否定せずに聞いてくれた。

玲奈にとって、東京で初めてできた、気を許せる友達だったのかもしれない。

ある日、二人は原宿へショッピングに出かけた。

通りには若者たちが行き交い、流行の服を並べた店からは、明るい音楽が流れていた。

そんな中、2人に男が声をかけてきた。

シャツのボタンを三つほど開け、日焼けした胸元を覗かせている。
自信たっぷりの身のこなしに、モデルか俳優を思わせる華やかな風貌だった。

『こんにちは。ちょっと話を聞いてもらえないかな?』

『えっ……?』

突然のことに、玲奈も菜々美も戸惑った。

男は2人の反応を気にする様子もなく、にこやかに続けた。

『2人とも、芸能事務所には所属しているの?』

『いえ、どこにも所属していませんけど……』

玲奈が答えると、男は感心したように2人を見比べた。

『そうなんだ。いや、2人とも、ほかの女の子とは雰囲気が違うからね。特に君は、すごく綺麗だし。どこかのタレントさんかと思ったよ』

思いがけない言葉に、玲奈は少し照れた。

『そんな……。私たち、普通の女ですよ』

菜々美と顔を見合わせ、二人で笑った。

その笑顔を見て、男はさらに親しげな表情を浮かべた。

『この近くに、カフェがあるんだ。そこのモンブランが絶品でね。よかったら、一緒にどう?』

『わあ、モンブラン食べたい!』

菜々美が嬉しそうに声を上げた。

玲奈も、つられて笑った。

男の名前は、佐々木といった。

原宿界隈では名の知られたスカウトマンだったが、その一方で、あまり良くない噂も耳にする人物だった。

しかし、そんなことを知らない玲奈たちにとって、佐々木は、突然現れて自分たちを褒めてくれた、気さくで華やかな男にすぎなかった。

何より、玲奈の心には、久しぶりに小さな期待が芽生えていた。

芸能事務所には入れなかった。

ダイエットも失敗した。

けれど、自分を見て、綺麗だと言ってくれる人がいる。

もしかしたら、まだ何かの可能性が残っているのではないか。

そんな思いが、沈んでいた心をそっと持ち上げた。

菜々美と一緒だったこともあり、玲奈の警戒心は薄れていた。

二人は佐々木の後について、近くのカフェへと向かった。

そのときの玲奈は、まだ知らなかった。

自分の夢をもう一度信じさせてくれるかもしれない男が、これから自分を思いもよらない出来事へと導いていくことを。

偶然の出会いが、人生を変えることはある。

けれど、その出会いが幸運なのか、それとも不幸の始まりなのか――。

19歳の玲奈には、まだ見分けることができなかった。
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