【連載小説】第126話 もうひとつの月

【連載小説】第126話 もうひとつの月

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小説

それから、2ヶ月が過ぎた。

美月が思い描いていた2軒目の店が、いよいよ形になった。

銀座8丁目。

『クラブ 結』から歩いてわずか5分ほどの場所に、美月はもう一つの店を持つことになった。

店の名前は――

『Club LUNA』

LUNA――月。

夜の街、銀座に浮かぶ月。

『クラブ 結』をここまで育ててきた美月にとって、それは単なる2店舗目ではなかった。

もう一つの夢。

もう一つの挑戦。

そして、これから先の自分の人生を照らしてくれる、もう一つの月だった。

店内には、オープンを祝う胡蝶蘭が所狭しと並んだ。

白い花々に囲まれた店を見渡しながら、美月は胸の奥が熱くなるのを感じていた。

――この店も、きっと大丈夫。

そう思いたかった。

いや、そう信じていた。

『Club LUNA』は、紗和ママに任せることにした。

紬ちゃんも一緒だった。

そこに新しく募集した女の子たちが加わり、いよいよ新しい店がスタートした。

そして迎えたオープン初日。

結のお客様たち、そして紗和ママのお客様たちが次々と訪れ、店はあっという間に満席になった。

シャンパンが開き、笑い声が響き、カラオケの歌声が店内に流れる。

銀座の新店オープンというのは、いつだって華やかだ。

その夜だけを見れば、誰もが思う。

――この店は成功する。

けれど、美月はこれまでの経験から、それが一日限りの華やかさであることも知っていた。

銀座では、店を開くことよりも、その店を続けていくことのほうが難しい。

1年後。

その店がまだ続いているのか。

お客様がついているのか。

女の子たちがそこで働き続けているのか。

そこで初めて、その店の本当の答えが出る。

そして、その答えを左右するのがママの腕だった。

ただ、オーナーママと雇われママでは、店に対する思いに、どうしても温度差が生まれることがある。

自分のお金を出し、自分の人生を懸けて店を持つ人と、任された店を運営する人。

同じ「ママ」という立場でも、その責任の重さは少し違う。

銀座では、こんなこともよく言われていた。

「お客様が帰るときのお辞儀を見れば、その店が分かる」

最後までお客様を大切に思っているのか。

それとも、帰った瞬間に仕事が終わったと思うのか。

ほんの一瞬のお辞儀に、その人の仕事に対する姿勢が出る。

美月は、そんなことを何度も見てきた。

けれど、このときの美月には、まだ分からなかった。

『Club LUNA』の未来が、どんな方向へ向かおうとしているのかを。


オープンして間もないある日のことだった。

『クラブ 結』のお客様で、建設会社の部長をしている田中さんから、

「今度、LUNAに行ってみたい」

と言われた。

田中さんはカラオケが大好きな人だった。

美月は、

「じゃあ、一緒に行きましょう」

と、田中さんを連れて『Club LUNA』へ向かった。

店に入ると、美月は紗和ママを田中さんに紹介した。

「田中さん、こちらがここのママの紗和ママです。まだこんなに若いのに、すごく頑張っているの。よろしくお願いしますね」

「田中さん、よろしくお願いします。まだオープンしたばかりで、何かと落ち着かないんですけど……」

紗和ママはそう言って、少し笑った。

そして、

「うち、カラオケは音響にこだわっているので、音は抜群にいいんですよ。後でぜひ歌ってくださいね」

と、少し甘えるような声で田中さんに話しかけた。

田中さんも嬉しそうだった。

紗和ママは、初対面の男性との距離を縮めるのが上手だった。

美月はその様子を見ながら、

――なるほど。

と思った。

こういうところが、紗和ママがお客様を持っている理由なのかもしれない。

そのときの美月には、それ以上のことは考えなかった。


しばらくして、田中さんが帰る時間になった。

美月も一緒にエレベーターまで見送った。

二人でエレベーターを待っていると、ちょうど扉が開いた。

その中に、知り合いの雪ママが立っていた。

「あら……」

お互いに気がついた。

けれど、エレベーターの中にはすでに人がいて、美月たちは乗ることができなかった。

「こんばんは」

軽く会釈を交わす。

そして扉が閉まった。

美月は田中さんと次のエレベーターを待った。

その日は、それだけだった。

まさか、その何気ない数秒が、翌日の電話につながることになるとは思ってもいなかった。


翌日の午後。

美月の携帯電話が鳴った。

昨日、エレベーターで偶然会った雪ママからだった。

「もしもし?」

「美月ちゃん、昨日はどうも」

「雪ママ、昨日は偶然でしたね」

「うん……。あのね、美月ちゃん。こんなこと言おうかどうか、ちょっと迷ったんだけど……」

雪ママの声が、少し低くなった。

「昨日、一緒にいたのって……紗和って子じゃない?」

「ええ、そうです。先日2軒目をオープンして、そこのママをお願いしたの。あら、知り合いだった?」

「知り合いってほどじゃないのよ。ただ、以前、彼女が勤めていた店と同じビルだったから、よく見かけていたの」

「そうだったの。それもまた偶然ね」

美月がそう言うと、雪ママは少し間を置いた。

「……それがね」

「うん?」

「彼女、ちょっと気をつけたほうがいいかもしれない」

その言葉に、美月の胸がわずかにざわついた。

「どういうこと?」

「私が言うのもどうかと思ったんだけど……。あの子、かなり気が強いのよ。それだけじゃなくて、周りからあまり評判がよくなかったの」

「ええ……?」

美月は思わず聞き返した。

「例えばね、昨日みたいなことでも、エレベーターに乗れなかっただけで悪態をついたりしてね。そういうことが何度かあったから、周りのママたちも、みんなできるだけ関わらないようにしていたくらいなのよ」

「……知らなかった」

美月の声から、少しずつ明るさが消えていった。

「お客様から紹介してもらって、来てもらうことになったんだけど……」

「そうだったのね」

雪ママの声には、責めるような響きはなかった。

むしろ、心配しているのが伝わってきた。

「ごめんね。余計なこと言っちゃったわね。告げ口みたいになってしまったけど……美月ちゃんのことがちょっと心配になったの」

「ううん。教えてくれてありがとう」

美月はしばらく考えてから言った。

「まだオープンしたばかりだから、今すぐどうこうすることはできないけど……。これから少し注意して見てみるね」

「うん。それがいいと思う。何かあったら、いつでも相談して」

「ありがとう」

電話が切れた。

美月はしばらく、携帯電話を手にしたまま動けなかった。

ついさっきまで、2軒目の店を持てたことが嬉しくて仕方なかった。

『Club LUNA』という新しい月が、これから自分の未来を照らしてくれる。

そう思っていた。

それなのに――。

胸の中に、突然、小さな影が落ちた。

どうして、もっと慎重にならなかったんだろう。

思い返せば、最初に会ったときから、ほんの少しだけ引っかかるものはあった。

けれど、

「お客様をたくさん持っている」

その言葉に、美月は期待してしまった。

店を成功させたい。

2軒目を軌道に乗せたい。

その思いが強すぎて、見ようとしなかったものがあったのかもしれない。

人は、欲しいものが目の前に現れると、そこにある小さな違和感を見ないふりをしてしまう。

そして、そのときはまだ分からない。

その違和感が、やがて大きな問題へと姿を変えることを。

『Club LUNA』は、華やかな幕を開けたばかりだった。

けれど、その月明かりの下には――

美月がまだ気づいていない、もう一つの顔が隠れていた。
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