第123話 夢の終わり、その先へ

第123話 夢の終わり、その先へ

記事
小説

今日は『クラブビー』のオープンの日だった。

マスターと蓉子、奈津子。

そしてアルバイトの女性が3人。

小さな店に集まった女たちは、これから始まる新しい人生に胸を膨らませていた。

蓉子は母親から借りた薄紫色の色留袖を着て、美容院にも行った。

鏡の中の自分を見ながら、何度も襟元を直した。

『今日から私はママなんだ……』

そう思うと、胸の奥が少し震えた。

『結』では制服だったから、普段から洋服にそれほどお金をかけることもなかった。

新しい店を始める資金も十分ではない。

それでも、ママになるのなら着物くらいは必要だと思い、母親に相談した。

実は蓉子の母親も、結婚する前は銀座で働いていた。

しかも大きなクラブのナンバーワン。

当時、一世を風靡したほどの女性だったという。

その絶頂期に、ある大手鉄鋼会社の部長に見初められ、あっさりと銀座を辞めた。

そして、その人生を変えるきっかけとなったのが――蓉子だった。

蓉子を身ごもったことで、華やかな銀座を離れ、普通の主婦になったのである。

だから蓉子は、もしかすると生まれた時から銀座という世界と、どこか縁があったのかもしれない。

一方、奈津子は純白のロングドレスに身を包んでいた。

輝くような美しさだった。

ただ、店の内装は以前のまま。

少し古びた店内が、二人の若さとは対照的だった。

それでも――。

その夜は、そんなことを気にする暇もなかった。

開店祝いに駆けつけるお客様。

次々に届く花。

笑い声。

二人の若さと勢いで、店は瞬く間に熱気に包まれていった。

その日の早い時間に駆けつけてくれたのは、大手不動産会社の佐久間さんだった。

『やあ、蓉ちゃん。いよいよママだね。おめでとう!』

『佐久間さん、ありがとうございます。こんなに早く来てくださるなんて、感激です』

『蓉ちゃんのためなら、どこだって駆けつけるよ』

蓉子は嬉しそうに笑った。

だが、その夜、店内を埋め尽くしたお客様のほとんどは、奈津子が呼んだ人たちだった。

気がつけば、誰がママなのか分からないほどだった。

蓉子のお客様といえば、佐久間さんと数人。

それでも初日なのだから仕方がない。

蓉子はそう自分に言い聞かせた。

しかし、奈津子の胸の中には、別の感情が芽生えていた。

――これで、本当に折半なの?

自分のほうが、はるかにお客様を呼べる。

それなのに、店の経営は蓉子に任され、収入は折半。

もちろん、始まったばかりの初日に口にすることではない。

そう思って、その日は何も言わなかった。

帰りのタクシーの中で、ふと気になった。

――このタクシー代は、誰が払うのだろう?

『結』では、遅くなればタクシー代が出た。

そんな些細なことまで、また話し合わなければならない。

そう考え始めると、だんだん面倒になってきた。

せっかく新しい店に移ったのに、最初からこんな小さなことを気にしていては、気持ちよく働けない。

そんな思いが、少しずつ奈津子の中に積もっていった。

それからしばらくは、目まぐるしい日が続いた。

そして、開店から数週間が過ぎた頃。

奈津子は蓉子を喫茶店に呼び出した。

『ママに聞きたいことがあるんだけど……』

いきなりだった。

蓉子は、奈津子の顔を見て少し身構えた。

『奈っちゃん、どうしたの? そんな怖い顔して』

『私、疑問があるのよ』

奈津子は、オープンした頃から胸の中に溜め込んでいたものを、もう抑えられなくなっていた。

『何なの?』

『私を誘った時、売上の折半って話だったよね』

『うん』

『でもさ、今お店に来ているお客様のほとんどが、私が呼んだ人ばかりじゃない?』

蓉子は黙った。

『これで本当に折半って、合わないんじゃない?』

『奈っちゃん、ちょっと待ってよ』

蓉子は、できるだけ穏やかに答えようとした。

『まだオープンしたばかりよ。私だって毎日、お客様に連絡しているの。まだその結果が出ていないだけじゃない』

『でも現実に、今来てるのは私のお客様でしょう?』

『それは分かってる』

『じゃあ――』

『でもね、奈っちゃん。お店って、そういうことだけじゃないのよ』

『そういうことって?』

『確かに奈っちゃんが呼んでくれている。それは私も分かってる。でも、お店にはヘルプの子もいるし、みんなで奈っちゃんを支えているでしょう? お客様が気持ちよく過ごせるように、目に見えないところで動いてくれている人もいるのよ』

『まあ……そうだけど』

『だから、もう少し長い目で見てくれないかな。私も頑張るから』

蓉子はそう言ったものの、背中にはじっとりと汗をかいていた。

――大変なことになった。

この時になって初めて、蓉子は奈津子という女性の本当の姿を少しだけ見た気がした。

そして翌日。

蓉子は真田マスターに電話をした。

『マスター、大変なことが起きちゃった。ねえ、起きてる?』

『何だよ。まだ昼だぜ』

『奈っちゃんが、いきなり折半じゃ合わないって言ってきたのよ。どうしよう』

『え? まだ始まったばかりじゃないか』

『そうなんだけど……』

『それでもっと給料を上げろって? 冗談じゃないよ』

『そこまでは言ってないけど、かなりの剣幕だったわ』

電話の向こうで、マスターはしばらく黙った。

『そうか……』

そして、ぽつりと言った。

『奈津子は金で動くタイプだと思っていたが……こんなに早く不満を言ってくるとはな』

『私、人選を間違えたのかしら』

『まあ、いざとなったら辞めてもらえばいい。蓉子ママの実力で、奈津子のお客様を店のお客様にしていけばいいんだ。この業界じゃ、珍しいことじゃない』

その言葉を聞きながら、蓉子は自分の甘さを思い知った。

奈津子の明るさ。

人を惹きつける華やかさ。

それだけを見ていた。

その奥にあるものまで、見抜くことはできなかった。

そして――。

半年後。

二人は喧嘩別れをした。

奈津子は『クラブビー』を辞めた。

始まったばかりの夢は、わずか半年で終わった。

その後、蓉子は奈津子のお客様を引き継ぎ、店を続けていった。

けれど、最初の広い店を維持することは次第に難しくなっていった。

場所を変え。

また場所を変え。

最後にはカウンターバーを間借りして営業していたという。

そして――。

いつしか、その店もなくなって蓉子は銀座から姿を消した。

人は、自分がどこへ向かっているのか、その途中ではなかなか分からない。

あれほど自信に満ちていた2人が、別々の道を歩いていく。

人生とは、そういうものなのかもしれない。

蓉子がかつて言った。

『結よりも大きいお店なんです』

その言葉が美月の胸に深く残っていた。

もし、あの時。

2人が開店する前に『結』へ来て、

菓子折りの一つでも持って、

『ママ、今までお世話になりました。これから二人で頑張ります。よろしくお願いします』

そう頭を下げてくれていたら――。

美月は、きっと応援しただろう。

少なくとも、2人の門出を笑顔で送り出していた。

けれど、人は時として、ほんの一言の違いで、その後の関係を変えてしまう。

義理を欠いたこと。

筋を通さなかったこと。

それは、その時には小さなことに思えても、後になって大きな意味を持つことがある。

『クラブ結』は、主要な2人の独立という思いがけない出来事で、大きな打撃を受けた。

数か月の間に、多くのお客様が流れた。

店にとっては、決して小さな傷ではなかった。

それでも――。

美月は立ち止まらなかった。

新しい女性を探した。

新しい風を入れた。

そして、お客様にそれを伝え続けた。

傷ついた店は、少しずつ息を吹き返していった。

人が去ったあとには、必ず空席ができる。

けれど、その空席を埋めるのは、去っていった人ではない。

新しく出会う人なのだ。

美月は、そうやってまた一歩を踏み出した。

それが、この先の人生を変えることになるとは――。

この時の美月は、まだ知らなかった。

そして物語は、もう一つの月へ向かって動き始める。

――Club LUNA。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す