【連載小説】第118話 捨てる神あれば、拾う神あり

【連載小説】第118話 捨てる神あれば、拾う神あり

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小説

『クラブ結』は、煌びやかで華やかな銀座の高級クラブとは、少し違っていた。

美月が目指していたのは、どこか家庭的で温かい店。

初めて来たお客様でも、なぜか肩の力を抜いて過ごせる。

そんな店にしたかった。

それは、美月ママの変わらない信条でもあった。

そのせいか、『クラブ結』には女性のお客様も多かった。

ある日、昔からの馴染みのお客様、海老名さんが、会社の部下だという女性3人を連れて来店した。

その中に、桃子という女性がいた。

美月は、彼女を見た瞬間に目を奪われた。

華やかな美しさがある。

けれど、ただ綺麗なだけではない。

どこか知的で、品のある雰囲気をまとっていた。

――この子、いいわね。

なぜだか、そう思った。

『海老名さん、今日はありがとうございます。こんな素敵な女性に囲まれて会社へ行けるなんて、毎日楽しみでしょうね』

『ママ、分かる? そうなんだよ』

海老名さんは嬉しそうに笑うと、周りには聞こえないように、美月だけにそっと言った。

『やっぱり女性は美人に限るよ』

美月は思わず笑った。

今の時代なら、そんなこともなかなか口にしづらいのかもしれない。

『桃ちゃん、このお店は初めてだったね? こちらがママさんよ』

『あっ、初めまして。桃子と申します』

『まあ、桃ちゃん。なんて綺麗な方なの』

美月は思わず、本音を口にしてしまった。

『こんな美人さん、うちで働いてくれたら嬉しいんだけど』

『おいおい、ママ。勘弁してくれよ。親御さんに叱られちゃうよ』

海老名さんが慌てたように笑った。

『冗談ですよ』

美月も笑ってごまかした。

けれど――。

まんざら冗談でもなかった。

ただ、その頃の『クラブ結』は女の子も揃っていて、募集をする必要もなかった。

だから、それ以上は何も言わなかった。

美月が女性のお客様に、

「うちで働かない?」

そんなことを言うのは、滅多にないことだった。

それなのに桃子には、なぜか心を惹かれるものがあった。

お帰りになる時、美月は桃子だけに、そっと名刺を渡した。

『何かあったら、いつでも連絡してね』

その言葉に、桃子は少し驚いたように微笑んだ。

『はい。ありがとうございます』

それから数週間が過ぎた。

突然、美月の電話が鳴った。

『もしもし、あの……私、桃子です。覚えていらっしゃいますか?』

『ああ! 海老名さんと一緒にいらした桃ちゃんね』

『そうです。実はママさんに、お聞きしたいことがあってお電話しました』

『あら、どうしたの?』

『今、お店は募集していますか?』

美月は少し驚いた。

『実は私、契約社員だったんですが、契約が終了してしまって……。今、仕事を探しているんです。それで、もしよかったらママさんのお店で働けないかなと思って、ご連絡しました』

美月は一瞬、言葉に詰まった。

――まさか、桃ちゃんの方から電話をくれるなんて。

本当なら、すぐにでも「来て」と言いたかった。

けれど、現実には女の子の数は足りていた。

『そうだったの……』

美月は、残念そうにため息をついた。

『桃ちゃんみたいな子なら、ぜひ来てもらいたいんだけどね。でも今は、ちょうど女の子が揃っているのよ』

『そうでしたか……』

桃子の声が、少しだけ沈んだ。

『ママさんのお店だったら、何となく怖くないかなって思っていたんですけど……残念です』

その言葉が、美月の胸に残った。

『本当にごめんなさいね。でも、もし誰か辞めるようなことがあったら、すぐに連絡するから』

『はい。その時は、よろしくお願いします』

電話を切ったあと、美月はしばらく受話器を見つめていた。

――断ってしまって、よかったのかしら。

あんなに来てほしいと思った子なのに。

けれど、今はどうすることもできなかった。

そして――。

その数分後だった。

奈津子から、電話がかかってきた。

今まで『クラブ結』を支えてくれた、ナンバーワンの女性。

その奈津子から、他店から誘いを受けているという話を聞かされた。

しかも、その言葉の奥には、

「もし、それ以上の条件を出してくれるなら残る」

そんな思いが透けて見えた。

美月は、一瞬だけ迷った。

奈津子を失うことは、お店にとって大きな痛手だった。

けれど――。

だからといって、その場で条件をつり上げるつもりもなかった。

『あら、そんなにいい条件のお店なら、私が行きたいくらいね』

美月は、そう言った。

そして、続けた。

『どうぞ、ご遠慮なく』

電話の向こうで、一瞬、奈津子が黙った。

美月は、そのまま電話を切った。

受話器を置いたあとも、しばらく胸の奥がざわついていた。

――これで、よかったのよね。

そう自分に言い聞かせながらも、長い間一緒に働いてきた奈津子を失うことは、やはり辛かった。

だが、その時だった。

美月の頭に、さっきの桃子の声がよみがえった。

――ママさんのお店だったら、怖くないかなって思っていたんですけど。

美月は、はっとした。

そして迷うことなく、桃子の番号を押した。

『もしもし、桃ちゃん?』

『はい』

『さっきはごめんなさいね。でも……もし、まだ気持ちが変わっていなかったら』

美月は一度、息を吸った。

『ぜひ、うちに来てくれない?』

電話の向こうで、桃子の声が一気に明るくなった。

『本当ですか? 嬉しい! ありがとうございます!』

その弾んだ声を聞いた瞬間、美月の心も少しだけ軽くなった。

ほんの数十分前まで、

「女の子は足りている」

そう思っていた。

それが、突然一人辞めることになり、

そして、その直後には新しい女性を迎えることになった。

まるで誰かが、最初から決めていたかのようだった。

捨てる神あれば、拾う神あり。

人生とは、本当に分からない。

奈津子が辞めることは、大きな痛手だった。

奈津子は、どちらかといえば野性的で、豪快だった。

お客様を楽しませることに関しては、天性の才能を持っていた。

店の空気を一瞬で変え、笑い声を起こす。

奈津子がいるだけで、店が華やぐ。

そんな存在だった。

一方の桃子は、奈津子とはまるで正反対だった。

上品で、どこか控えめ。

けれど、その美しさには、人を惹きつける不思議な力があった。

同じ「人気者」でも、その魅力はまったく違う。

奈津子を失った穴を、桃子が埋める。

もちろん、そんな簡単な話ではない。

けれど美月には、新しい風が吹き始めたような気がした。

あの日は、まるでジェットコースターのような一日だった。

思いがけない出会いがあり。

手放すことがあり。

そして、また新しい縁を手にした。

美月はその時、まだ知らなかった。

一つの縁が去り、新しい縁が訪れたその裏で――。

すでに、自分の知らないところで何かが動き始めていたことを。

そしてそれはやがて、美月の心を深く傷つけることになる。
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