【連載小説】第110話 運命の出会い

【連載小説】第110話 運命の出会い

記事
小説

夏の陽射しが、ほんの少し柔らかくなった頃。

貴美が贔屓にしているブティックのウインドウは、すでに秋一色に染まっていた。

新作の洋服が次々と並び、貴美はその前で足を止める。

以前から目をつけていた洋服も入荷していた。

――欲しい。

そう思ったら、もう堪らなかった。

並んでいるのは、どれも決して安いものではない。一着数十万円する洋服も珍しくなかった。

クローゼットは、もう新しい洋服を入れる隙間もないほど埋まっている。

贅沢だと言われれば、その通りだと思う。

それでも貴美は、

『物欲があるうちは、まだ若いってことよ』

と、都合よく自分に言い聞かせていた。

給料のほとんどは、お洒落のために消えていった。

その頃の貴美は、親の家にいることが窮屈になり、両親の反対を押し切って銀座へ出てきたばかりだった。

容姿には恵まれていた。

そして何より、昔から人と話すことが好きだった。

銀座のクラブという世界は、自分に合っている。

そう思った貴美は麻布へ引っ越し、毎日を楽しんでいた。

ただ、働いても働いても、お金は出ていくばかりだった。

そんなある夜のことだった。

同じ店の先輩、和子の席に呼ばれた。

たまたま和子が化粧室へ立つことになり、その間のヘルプとして貴美が呼ばれたのだ。

お客様を一人にしない。

それは、この世界では当たり前のことだった。

たとえ女性が化粧室へ立つのが、ほんの2、3分であっても、お客様が1人になるのであれば、誰かが席に入る。

そして、ヘルプの女性とバトンタッチをして化粧室へ向かう。

その夜、貴美は何も知らずに、その席へ向かった。

しかし――

そこで、思いもよらない出会いが待っていた。

『こんばんは。お邪魔します』

貴美が席に着くと、和子が紹介した。

『貴美ちゃん、こちら唐澤宙さん。私の一番大事なお客様だから、よろしくね』

そう言うと、和子は待ちきれないように席を立った。

『ヒロシさんですか?』

貴美が尋ねる。

『私、以前お付き合いしていた人もヒロシという名前だったので、同じですね』

『そう。ヒロシなんて、どこにでもある名前だから珍しくないよ』

『そんな、どこにでもあるなんて……。それで、ヒロシさんって、どう書くんですか?』

『漢字?』

『はい』

『宇宙の「宙」と書いてヒロシと読む。なんてね。珍しいだろ?』

『ええ。私、初めてお聞きしましたわ』

『貴美ちゃんか。綺麗な名前だね』

『まあ……そんなことないです。それより唐澤さんのお名前のほうが素敵です。俳優さんみたい』

そう言いながら、貴美は唐澤の目を真っ直ぐ見ることができなかった。

自分でも分かっていた。

あまりにも好みの男性だった。

胸が高鳴り、緊張しているのが自分でも分かる。

すると唐澤が、少し声を落として言った。

『ここだけの話だけど……貴美ちゃん、俺の好みだよ』

『また……。和子さんに叱られますよ』

『大丈夫。あいつは、ただの友達さ』

『そうは見えませんけど……。あっ、帰ってきた』

『ただいま。お待たせしました。貴美ちゃん、ありがとう』

戻ってきた和子と入れ替わるように、貴美には別の席へ行くようマネージャーから指示が出た。

『どうも、ご馳走さまでした。失礼します』

貴美は席を離れた。

けれど――

気になる。

他の席に着いていても、視線は無意識に唐澤を探していた。

たった数分の会話だった。

それなのに、唐澤が口にした一言一言が、いつまでも頭から離れなかった。

そして翌日。

思いがけないことが起きた。

『貴美さん、お電話です』

『はい、もしもし。貴美ですけど……』

『名前は言わないで。俺、唐澤だよ』

『あっ……はい、分かります』

昨日の声だった。

『昨日から貴美ちゃんのことが気になって、思わず電話しちゃったけど……迷惑じゃないかな?』

『いいえ……。反対に嬉しくて、声が出ないくらいです』

貴美の胸は、昨日以上に大きく高鳴っていた。

『昨日は連絡先も聞けなかったから、お店へ電話したんだ。今日、お店が終わったあと、ちょっと会えないかな?』

『ええ、大丈夫です』

一瞬の迷いもなかった。

『携帯の電話番号を教えていただけますか? 終わり次第、電話しますね』

『待ってるよ。今日はゆっくり話したいね』

『じゃあ、後ほど』

電話を切った。

受話器を握っていた指が、強張っている。

緊張と嬉しさが入り混じり、胸の鼓動が収まらない。

昨日、初めて会ったばかりの男性から電話がかかってきた。

しかも、会いたいと言われた。

まるで夢を見ているようで、貴美にはそれが現実なのか、にわかには信じられなかった。

たった数分の出会いが、

この先、自分の人生を大きく変えることになるとは――

この時の貴美は、まだ知る由もなかった。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す