和子は、美月ママのお店へアフターで立ち寄る時間が好きだった。
クラブの張りつめた空気とは違い、
そこには誰もが肩の力を抜ける温かな雰囲気があった。
今夜も、お客様と一緒に店へ入る。
その時だった。
カウンターに、一人静かにグラスを傾けている男性が目に入った。
どこか物憂げな横顔。
賑やかな店の中にいても、その人だけ時間の流れが違うように見えた。
思わず目を奪われる。
その男性が、唐澤だった。
お客様を美月ママに預けると、和子は自然とカウンターへ近づいた。
『お一人ですか?』
唐澤は静かに笑った。
『そうなんです』
その笑顔は派手ではない。
けれど、不思議と人の心を和ませる笑顔だった。
気づけば二人は、昔から知り合いだったように話していた。
仕事のこと。
故郷のこと。
好きな食べ物。
何でもない話なのに時間が過ぎるのが早い。
別れ際、和子は少しためらいながら名刺を差し出した。
『また、お会いできたら嬉しいです』
唐澤はその名刺を大切そうに受け取り、小さく頷いた。
『きっと、また』
その一言だけだった。
けれど、その言葉が和子の胸に残った。
それから二日後。
店に一本の電話が入った。
『唐澤です』
その声を聞いた瞬間、胸が高鳴った。
待ち合わせをして食事をし、街を歩き、気づけば時間を忘れていた。
一緒にいるだけで心が安らぐ。
そんな相手は久しぶりだった。
その夜、二人の距離は自然と縮まっていった。
無理に言葉を交わさなくても、お互いの気持ちは伝わっているような気がした。
和子は、この人になら自分の本当の気持ちを話せるかもしれないと思った。
それから三か月。
二人は時間を見つけては会うようになった。
ある夜。
静かなホテルの部屋で、和子は堰を切ったように胸の内を語り始めた。
『私……もうこんな生活、疲れちゃった』
家族のために働き続ける毎日。
自分の夢よりも、生活費や治療費が優先される現実。
誰にも弱音を吐けず、一人で抱え込んできた苦しみ。
唐澤は何も遮らず、ただ黙って聞いていた。
『俺さ、近いうちに大きな仕事をする予定なんだ』
穏やかな声だった。
『それがうまくいったら、和ちゃんを幸せにできる。
もう苦労なんてさせない』
和子は思わず涙ぐんだ。
こんな言葉をかけてもらったのは、初めてだった。
『本当に……』
『もちろん』
『私だけじゃないの。
家族もいるの。
そんな私でもいいの』
唐澤は優しく微笑んだ。
『好きになった人の大切な人なら、俺にとっても大切な人だよ』
その言葉が胸に染みた。
張りつめていた心が、少しずつほどけていく。
和子は静かに涙を流した。
ようやく、自分にも幸せが訪れるのだと信じた。
その優しい横顔を見つめながら、
彼のためなら、何でもできる。
そんな思いが、静かに心の中で芽生えていた。