当時の美月は、3人の女性がそれぞれ違う人生を歩みながら、1人の男性との出会いによって運命を大きく変えられていくことなど、知る由もなかった。
その男性の名は、唐澤宙。
宙と書いてヒロシと読む。
背が高く、人当たりがよく、いつも口元には穏やかな笑みを浮かべていた。
誰にでも気さくに話しかける。
その笑顔の奥に、何を考えているのかまでは誰も気づかなかった。
『和ちゃん、もう十分頑張ってきたよね』
唐澤はそう言って、そっと和ちゃんの肩を抱き寄せた。
『これからは俺がいるから、一人で背負わなくていい』
その優しい声に、和ちゃんは胸が熱くなった。
『もう苦労なんてしなくていい。俺と一緒に暮らそう』
その言葉を聞いた瞬間、涙がこぼれそうになった。
ようやく、自分にも幸せが訪れるのかもしれない。
そう信じたかった。
和ちゃんは三十二歳。
色白で、どこか守ってあげたくなるような柔らかな雰囲気を持つ女性だった。
大学を卒業する頃までは、父親が経営する不動産会社のおかげで何不自由ない生活を送っていた。
しかし、バブル崩壊ですべてが変わる。
会社は倒産し、自宅も失った。
家族は狭いアパートへ移り住み、父親は気力を失い、母親は介護に追われた。
家計を支えられるのは、一人娘の和ちゃんだけだった。
昼は会社員。
夜は銀座で働く。
眠る時間を削りながら家族を支え続ける毎日。
「どうして私だけ…」
そんな思いを胸にしまい込みながら生きてきた。
だからこそ、
『もう頑張らなくていい』
その一言は、何より心に響いた。
一方、貴美ちゃんはまったく違う人生を歩んできた。
一人娘として大切に育てられ、欲しい物は何でも手に入る環境だった。
若くして結婚したが、その生活は長く続かなかった。
離婚後は実家へ戻り、自由な毎日を送っていた。
けれど心のどこかでは、もう一度、自分を特別扱いしてくれる誰かを待ち続けていた。
そんな時だった。
『貴美ちゃんってさ、本当はもっと華やかな人生を送る人だと思うんだ』
唐澤は微笑みながら言った。
『今はまだ準備している最中だけど、もうすぐ大きな仕事が動くんだ』
貴美ちゃんは興味深そうに顔を上げる。
『親父の会社も、少しずつ俺に任せるって話になってるしね』
『そうなの?』
『欲しい物があったら我慢なんてしなくていい。俺と一緒なら、そんな思いはさせないよ』
その言葉は、貴美ちゃんがずっと思い描いていた未来そのものだった。
「今度こそ、本物の王子様かもしれない」
そんな期待が、少しずつ胸の中で膨らんでいった。
同じ言葉ではなかった。
由美ちゃんには、愛を。
和ちゃんには、安心を。
貴美ちゃんには、豊かな未来を。
相手によって語る夢は違っていた。
その時はまだ、誰も気づかなかった。
それぞれが心の奥で一番欲しかったものを、唐澤はまるで見透かしているかのように差し出していたことを。
そして、その優しい笑顔の向こう側に、別の顔が隠されていたことを。