銀座のクラブは、紹介がなければ入れない世界だった。
当時はほとんどのお客様が売掛で、月末になると請求書を送る。
だから何よりも信用が大切だった。
『クラブ結』でも、美月は毎月何枚もの請求書を作り、発送する仕事に追われていた。
そんな頃、世の中では少しずつパソコンが普及し始めていた。
「これからはパソコンの時代ですよ」
そんな言葉を耳にするたび、私も思い切って一台購入した。
最初は電源の入れ方さえ戸惑うほどだった。
それでも毎日少しずつ触っているうちに、不思議とできることが増えていった。
ある日、何気なく検索サイトで『銀座 クラブ』と入力してみた。
表示されるのは、テレビで紹介されたような有名店ばかり。
その画面を見つめながら、私はふと思った。
「ホームページがあれば、『クラブ結』を知ってもらえるかもしれない。」
最初は業者さんへお願いすることも考えた。
でも、お店の情報はこれから何度も更新していく。
そのたびにお願いするより、自分で作れるようになったほうがいい。
そう思うと、居ても立ってもいられなかった。
私はパソコン教室へ通い始めた。
文字の入力から始まり、画像の貼り付けやページ作りまで、一つひとつ覚えていく。
難しいと思っていたパソコンが、いつしか楽しくなっていた。
夢中になって作り上げた『クラブ結』のホームページ。
今思えば、この時の挑戦がお店の未来を大きく変えることになる。
まだホームページを持つクラブは少なく、『銀座 クラブ』で検索すると、『クラブ結』は1ページ目に表示されるようになった。
「初めてのお客様でも安心して来られる店にしたい」
そんな思いを込めながら、少しずつ内容を充実させていった。
時代の流れは、銀座にも静かな変化を運んできていた。
けれど、その頃の私は、もう一つの大きな出来事が始まろうとしていることを知らなかった。
それは、1人の男性と3人の女性の人生が交差する物語だった。
『結婚してくれないか。俺、由美ちゃんに会った瞬間から夢中になったんだ』
突然の言葉に、由美は耳を疑った。
「冗談……よね?」
まだ出会って間もない。
それなのに、どうして結婚なのだろう。
戸惑いながらも、その真っすぐな眼差しに心は少しずつ揺れ始めていた。
由美ちゃんは三十四歳。
若い頃に結婚し、一人息子を授かった。
けれど、結婚生活は長くは続かなかった。
義母との同居生活は想像以上に苦しく、やがて夫婦の溝も深まっていった。
離婚調停では、息子を引き取ることも叶わなかった。
裁判所を出た日、由美ちゃんの胸に残ったのは、言葉にできない喪失感だけだった。
それから長い年月が流れた。
恋愛からも少し距離を置き、仕事をしながら静かな毎日を送っていた。
そんなある日、知人の篠原さんに誘われ、いつものように六本木のカラオケへ向かった。
『あら、由美ちゃん。久しぶり』
『美優ちゃん、来てたの』
『紹介するね。こちらクラブ結の美月ちゃん』
『初めまして』
挨拶を交わした、その直後だった。
立ち上がろうとした由美ちゃんが、勢いよくテーブルにぶつかってしまった。
グラスが揺れ、一瞬店内が静まり返る。
次の瞬間、誰かが吹き出した。
それにつられて、みんなが笑った。
由美ちゃん自身も照れ笑いを浮かべる。
気づけば、その夜は朝まで歌って笑い続ける楽しい時間になっていた。
それが、由美ちゃんとの最初の出会いだった。
あの時はまだ誰も知らなかった。
この出会いが、やがて思いもよらない出来事へとつながっていくことを。