【連載小説】第85話 運命の電話

【連載小説】第85話 運命の電話

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土曜日の夜。

妙ちゃんと二人、美月の部屋ですき焼きを囲みながら、お笑い番組を見て笑っていた。

何気ない、いつもと変わらない夜だった。

突然、電話が鳴った。

『もしもし』

『夜遅くにごめんなさいね。今、大丈夫かしら』

受話器の向こうから聞こえてきたのは、雅子ママの声だった。

『はい、大丈夫です』

思わず背筋が伸びた。

こんな時間にママから電話がかかってくることなど、一度もなかった。

胸の鼓動が急に速くなる。

何かあったのだろうか。

私は何か失敗でもしたのだろうか。

妙ちゃんも心配そうに私の顔を見つめていた。

『突然こんなことを聞くのは変だけど、美月ちゃん、今どのくらい預金があるの? 大体でいいから』

『えっ……預金ですか?』

あまりにも意外な質問に言葉を失った。

『通帳を見ないと分かりません』

『そうよね。でも、あなたのことだから全くないということはないでしょう』

『少しはあると思いますけど……』

どうして、そんなことを聞くのだろう。

頭の中は疑問でいっぱいだった。

すると雅子ママは、いつもと変わらない穏やかな口調で言った。

『実はね、ここしばらくずっとあなたのことを考えていたの。このままうちの店にいるより、今のうちに独立したほうが、あなたのためなんじゃないかと思うようになったのよ』

『……えっ』

その一言で、頭の中が真っ白になった。

独立……。

私が……?

それとも――。

もしかして、辞めてほしいということなの?

『美月ちゃん、聞いてる?』

『は、はい……聞いています』

自分でも分かるほど声が震えていた。

『あの……独立というのは、私がお店を持つということですか?』

『そういうこと』

『考えたこともありませんでした。突然のお話で、頭の整理がつかなくて……。少しだけ時間をいただけませんか』

『もちろんよ。急に返事なんてできないわよね』

雅子ママは優しく笑った。

『来週の火曜日、時間を取るから一緒にお茶をしましょう。その時までに、よく考えておいて。それから預金も調べておいてね』

『分かりました』

『じゃ、おやすみなさい』

電話は静かに切れた。

受話器を置いたまま、私はしばらく動くことができなかった。

時間だけがゆっくり流れていく。

『美月ちゃん』

妙ちゃんの声で我に返った。

『ごめん……』

『ママ、何て言ってたの? 顔色悪いよ』

美月は力なく笑った。

『私……辞めなさいって言われたみたい』

『えっ? そんなわけないじゃない』

妙ちゃんは驚いた顔で首を振った。

『美月ちゃんが辞めるなら、お店のみんなが驚くよ。そんなこと、あるはずない』

『でも、急に独立したらどうかって……』

『それってリストラじゃないよ』

妙ちゃんは私の目をまっすぐ見つめた。

『ママは、美月ちゃんならできるって思ったから話したんじゃないの』

その言葉を聞いた途端、張りつめていたものが切れた。

涙があふれて止まらなかった。

『でも……私にできると思う?』

美月は首を横に振った。

『今までママのお店で働いてきただけ。請求書だって書いたことがないし、経理も分からない。お客様が来てくださる保証もない。お店を持つのに、いくら必要なのかさえ知らないの』

不安ばかりが次々と押し寄せてくる。

しかも返事をするまで、あと三日しかない。

三日で人生を決めるなんて、私にはあまりにも重すぎた。

妙ちゃんは黙って私の話を聞いてくれた。

『美月ちゃん』

『なに?』

『怖いんだよね』

美月は何も言えず、小さくうなずいた。

怖かった。

失敗することも。

今の居場所を失うことも。

何より、自分にその力があるのか分からなかった。

その夜は、妙ちゃんが帰ったあとも眠ることができなかった。

部屋の静けさの中で、雅子ママの言葉だけが何度も頭の中を巡っていた。

「独立したらどうかしら」

断れば、今まで通りの日々が続く。

それが一番楽なのかもしれない。

でも心のどこかで、小さな声が聞こえていた。

『このままで、本当にいいの?』

その問いに答えは出なかった。

美月に与えられた時間は、たった三日。

人生で初めて、自分の未来と真正面から向き合わなければならない夜が始まった。
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