当時、住まいが近かったこともあり、美月と妙ちゃんは毎日のように一緒に帰っていた。
休日になれば、どちらかの部屋でご飯を作り、おしゃべりをしながら夜更かしをする。
妙ちゃんは年下で、どこか妹のような存在だった。
仕事の愚痴や将来への不安を話し合い、励まし合う時間は、慌ただしい東京での暮らしの中で唯一心が安らぐひとときだった。
そんな妙ちゃんが、ある日を境に少しずつ変わり始めた。
『今日は用事があるから、一緒に帰れないの。ごめんね』
『ううん、気にしないで』
そう答えたものの、妙ちゃんは美月の顔を見ることもなく足早に帰って行った。
金曜日といえば、二人で近所の二十四時間営業のファミリーレストランへ行き、朝まで笑いながら話し込むのがいつもの楽しみだった。
それが突然なくなった。
たったそれだけのことなのに、胸の中にぽっかり穴が開いたような寂しさを覚えた。
数日後、思い切って聞いてみた。
『ねえ、妙ちゃん。最近何かあった?』
『ううん。何もないよ。どうして?』
『そう……ならいいの。ごめんね』
妙ちゃんは笑って答えた。
けれど、その笑顔はどこか以前とは違って見えた。
それに気づけば、新しいスーツや宝石を身につけることが多くなっていた。
銀座でも憧れと言われる高級ブティックの服。
妙ちゃんのお給料だけで買えるものではないことは、私にも分かっていた。
それでも美月は聞かなかった。
話したくないことまで聞くのは違うと思ったからだ。
その遠慮が、いつしか二人の距離を少しずつ広げていた。
同じ店で働いているのに、一緒に帰ることも少なくなった。
美月は寂しかった。
でも、人には人の事情がある。
そう自分に言い聞かせるしかなかった。
それから数か月後のある夜、珍しく妙ちゃんから電話がかかってきた。
『もしもし、今大丈夫?』
『もちろん。どうしたの?』
『最近、美月ちゃんとあまり話さなくなったなって思って』
『忙しそうだったから、邪魔しちゃ悪いかなって』
電話の向こうで妙ちゃんが小さく笑った。
『美月ちゃんって、そういうところあるよね。相手の気持ちを考えすぎちゃうの』
『そうかな』
『でもね、聞いてほしい時もあるんだよ。"どうしたの?"って』
その一言に、美月は胸が痛くなった。
気遣っていたつもりだった。
でも、その遠慮が妙ちゃんを寂しい思いにさせていたのだ。
『ごめんね』
『ううん。だから今日電話したの』
しばらく沈黙が続いたあと、妙ちゃんはぽつりと言った。
『私、最近リッチになったと思わない?』
『正直、少し驚いてた』
『自分で買えるわけないじゃない』
妙ちゃんは苦笑した。
『ある社長さんに出会ったの。すごくお金持ちで、私のことを大切にしてくれる』
『そう……いい人なの?』
『いい人だよ。でも独身じゃない』
その言葉に私は何も返せなかった。
『最初は嫌だった。でも誘われてホテルへ行った帰りに十万円渡されて、好きなものを買いなさいって言われたの』
静かな声だった。
『それから何度か会うようになった。でもね……やっぱり嫌なの』
『嫌なら、どうして続けるの?』
『自分でも分からないの。やめたい自分と、お金に頼ってしまう自分がいるの』
美月は少し考えてから答えた。
『心の中で二人の自分がいるのかもしれないね。一人は"もうやめよう"って言っていて、もう一人は"このままでいい"って言っている』
『でも、このままじゃ駄目だよね』
『私はそう思うよ。お金は人を楽しませてくれることもある。でも、心まで幸せにしてくれるとは限らないから』
しばらく沈黙が続いた。
『別れようかな……』
『そのほうが妙ちゃんらしいと思う』
『ありがとう。少し考えてみる』
それだけ言うと、妙ちゃんは電話を切った。
それからしばらくして、妙ちゃんは社長さんと別れたと話してくれた。
理由は聞かなかった。
妙ちゃんが自分で決めたことなら、それで十分だった。
気がつけば、以前のように仕事帰りは二人で歩き、休日にはどちらかの部屋で食事を作り、他愛もない話をして笑い合う毎日に戻っていた。
あの頃の美月は、その時間がいつまでも続くものだと信じていた。
人生は、ある日突然変わる。
そのことを、この時の美月はまだ知らなかった。
それから数年後の土曜日の夜。
美月の部屋で妙ちゃんとすき焼きを囲み、お笑い番組を見ながら笑っていた。
何気ない、幸せな時間だった。
そんな時、いきなり電話が鳴った。
『もしもし』
『私だけど』
『あっ……ママですか。こんばんは』
その一本の電話が、再び美月の運命を大きく動かすことになる。
そう、運命は突如として方向転換したのだ。