【連載小説】第83話 消えた面影

【連載小説】第83話 消えた面影

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ここはヴィーナスの隣にある洒落たカフェ。

夕方になると、黒服さんがスカウトした女の子と面接をしたり、出勤前のホステスたちが集まったりする。

店内にいるほとんどが夜の仕事に携わる人たちだった。

『恵子さんの気持ちは分かるよ。井上さんは一番の太客だからね』

『もう私、我慢の限界よ!井上さんが誘ったなんて、あのさゆりって子の嘘に決まってるわ』

『真実は当事者しか分からないよ。どっちが誘ったかよりも、これから恵子さんがどう動くかのほうが大事なんだ』

『もう来ないって怒ってるし、どうしたらいいのかしら』

さっきまでの勢いが嘘のように、恵子さんは肩を落とした。

『そこが腕の見せ所じゃないのか。男性の面子を立てながら会社まで菓子折りを持って謝りに行く。それが一番だと思うよ。井上さんだって店は気に入っているはずだ。ただ怒りの納め方が分からないだけなんだから』

『何で私が謝らなきゃいけないのって思うけど……ここは仕方ないか』

『そうだよ。さゆりのことは俺に任せてくれ。もしかしたら、あの子は近いうちに辞める気がする。まあ、俺の勘だけどな』

それから数日後のことだった。

『あれ? さゆり? さゆりじゃないか! 久しぶりだな』

新規のお客様の丸山さんという五十代くらいの男性が、さゆりちゃんを見るなり声を掛けた。

『えーと……どこかでお会いしました?』

『何とぼけてるんだよ。俺だよ、丸山』

『ああ、丸山さん。お久しぶりです』

『本当に分かってるのか? まあいいけど、元気にしてたか』

『ええ、まあ。ちょっと失礼します』

そう言うと、さゆりちゃんは足早に席を立ち、店の奥へ行ってしまった。

『すみません。急にどうしたのかしら。初めまして、私、美月と申します。さゆりちゃんのお知り合いなんですか?』

『いやぁ、驚いたよ。二年ぶりかな。前に勤めていた店で知り合って、何度か店の外でも会ったことがあるんだ』

『そうだったんですか』

男性の中には、悪気なく過去のことを話してしまう人がいる。

丸山さんも、そんな一人だったのかもしれない。

『実はここだけの話だけど、前の店では有名な子だったんだよ。担当の女の子にいじめられたとか、仕返しだとか、いろいろトラブルが絶えなくてね。結局、その店にはいられなくなって、ある日突然いなくなったんだ』

丸山さんは少し間を置いて続けた。

『それに家庭環境も複雑だったらしい。義理のお母さんから小さい頃からつらく当たられて、高校生の頃にはかなり荒れていたって聞いたよ。本当かどうかは分からないけどね』

美月は黙って聞いていた。

丸山さんの話がどこまで本当なのか、それは誰にも分からない。

けれど、もしその話が事実なら、さゆりちゃんの心の中には、誰にも見えない傷が残っていたのかもしれない。

そう思うと、不思議と責める気持ちだけではいられなかった。

それから数日後。

さゆりちゃんは、誰にも何も告げることなく店を辞めた。

あまりにも突然のことだった。

あれほど毎日のように顔を合わせていたのに、まるで最初からそこにいなかったかのように姿を消した。

あの日の出来事も、丸山さんから聞いた話も、結局どこまでが真実だったのかは分からない。

ただ一つ思うことがある。

もし心に消えない傷を抱えていたのなら、いつかその傷が癒え、自分自身を大切にできる日が来てほしい。

美月は、そう願わずにはいられなかった。
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