【連載小説】第86話 心が決めた答え

【連載小説】第86話 心が決めた答え

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雅子ママから独立の話を聞いてからというもの、私の心には二つの声が住みついてしまった。

一つは、不安ばかりを並べる声だった。

「私にお店なんてできるはずがない。

資金も足りない。

担当のお客様だってほとんどいない。

今までのように気楽に働いていたほうが幸せじゃない。

ママには正直に『私には無理です』とお願いしよう」

もう一つは、小さく、それでも消えることのない声だった。

「このままで本当にいいの?

今しかできないことがあるんじゃない?

好きな仕事だからこそ、一度くらい自分の力を試してみてもいいんじゃない?」

二つの声は、朝も昼も夜も私の頭の中で言い争っていた。

答えは出ないまま、約束の日がやってきた。

待ち合わせは銀座ではなく、麻布十番の落ち着いたレストランだった。

外国人の姿も見える、おしゃれな店内。

けれど、その日の私は景色を楽しむ余裕などなかった。

雅子ママは穏やかに微笑みながら言った。

『今日はありがとう。早速だけど、美月ちゃんの気持ちを聞かせて』

私は深呼吸をした。

本当は相談するつもりだった。

「無理です」と言うつもりだった。

それなのに――。

『いろいろ考えましたが……前向きに挑戦してみようと思います』

言った瞬間、自分で驚いた。

私、今なんて言ったの?

頭の中は迷っているのに、口だけが勝手に返事をしていた。

雅子ママは嬉しそうに笑った。

『そう。良かった』

その笑顔を見た瞬間、美月はもう後戻りできないことを悟った。

『じゃあ具体的な話を始めましょう』

美月は小さくうなずいた。

『預金は調べてくれた?』

美月は用意してきたメモを差し出した。

雅子ママは金額を見つめ、静かに言った。

『正直に言うわね。この金額では、そのままお店を持つのは厳しいわ』

胸が締めつけられた。

決して少ない貯金ではなかった。

贅沢もせず、何年もかけて必死に貯めた私の財産だった。

それでも銀座では足りない。

その現実を初めて突きつけられた。

『小さいお店でも難しいでしょうか』

また口が勝手に動いていた。

さっきから私は、不思議なくらい前向きなことばかり言っている。

その瞬間、美月は気づいた。

本当は――。

本当は美月自身がお店を持ちたかったのだ。

怖い。

でも、やってみたい。

その気持ちを、美月はずっと心の奥へ押し込めていただけだった。

雅子ママは少し考えてから言った。

『小さいお店なら可能性はあるかもしれないわ。不動産屋さんに知り合いがいるから紹介するわね。何軒か見つけたら、一緒に見に行きましょう』

話は少しずつ現実になっていった。

それでも美月には、自分のこととは思えなかった。

まるで誰か別の人の人生を横で見ているような、不思議な気持ちだった。

美月は思い切って尋ねた。

『今さらですが……本当に私にできますか』

雅子ママは少しだけ黙った。

そして静かに美月を見つめた。

『その答えは、誰にも分からないわ』

美月は息をのんだ。

『でもね、美月ちゃん。できるかできないかを考えていたら、一生前には進めないの』

雅子ママの声は穏やかだった。

『人生は、自分で決めるものよ。

店を育てるのも、潰すのも、全部ママ次第。

だから覚悟だけは、人に決めてもらっちゃだめ』

その言葉が胸に深く響いた。

『私は、美月ちゃんなら挑戦する価値があると思ったから、この話をしたの』

美月はゆっくりとうなずいた。

『ありがとうございます』

その返事をした瞬間、美月の中で何かが静かに動き始めた気がした。

不安は消えていなかった。

自信もなかった。

それでも美月は、自分の口で「挑戦する」と答えていた。

あの日の美月は、まだ知らなかった。

その一言が、これからの人生を大きく変えていくことになるということを。

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