【連載小説】第78話 待ち続ける夜

【連載小説】第78話 待ち続ける夜

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小夜ちゃんの手料理は驚くほど美味しかった。

苦手な魚料理のはずなのに、ぶりの照り焼きも揚げ物も絶品で、思わず箸が進む。

「小料理屋のおかみさんになりたい」

そう語っていた夢も、決して夢物語ではないと思えた。

その時だった。

小夜ちゃんが急に箸を置いた。

「美月ちゃん、私もう苦しくて」

その声は今まで聞いたことがないほど弱々しかった。

「どうしたの?」

「絶対に誰にも言わないでね」

美月は黙って頷いた。

「礼子さんのお客様の伊藤さんいるでしょう」

「ああ、あの人?」

「実は私、伊藤さんと付き合ってるの」

思わず言葉を失った。

伊藤さんといえば礼子さんの太客として有名だった。

お店でも知らない人はいない。

「本当なの?」

「うん」

小夜ちゃんは静かに頷いた。

そして少しずつ話し始めた。

礼子さんには年下の恋人がいたこと。

その事実を伊藤さんへ伝えたこと。

それがきっかけで伊藤さんが礼子さんから離れ、自分のもとへ来るようになったこと。

「昨日もこのソファーで寝ていったのよ」

そう言って小夜ちゃんは少しだけ微笑んだ。

けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。

「だったら良かったじゃない」

私がそう言うと、小夜ちゃんは首を横に振った。

「そうじゃないの」

鍋の湯気が立ち上る。

部屋いっぱいにぶりの匂いが広がる。

「私のやり方って卑怯だったかなって」

小夜ちゃんは小さく呟いた。

「伊藤さんが本当に私を好きなのか分からないの」

その一言で全てが分かった気がした。

伊藤さんを手に入れても不安は消えなかった。

むしろ大きくなっていた。

礼子さんへの未練。

自分への愛情。

そのどちらも確信が持てないのだ。

「私、すぐ捨てられちゃう気がする」

その言葉を聞いた瞬間、不思議と胸が苦しくなった。

魚の匂いのせいなのか。

それとも小夜ちゃんの執着や不安にあてられたのか。

急に気分が悪くなった。

「ごめん小夜ちゃん。私、帰ってもいい?」

「大丈夫?」

「うん、少し外の空気吸えば治ると思う」

タクシーを呼んでもらい部屋を出た。

別れ際、小夜ちゃんはぽつりと言った。

「女って欲深いのかもしれないね」

美月は返事ができなかった。

そうなのかもしれない。

どれだけ愛されても、もっと欲しくなる。

もっと確かめたくなる。

そんな生き物なのかもしれなかった。

それから数日後の深夜だった。

電話が鳴った。

「美月ちゃん!」

受話器の向こうから大きな声が飛び込んできた。

小夜ちゃんだった。

明らかに酔っている。

「伊藤さんが来ないの!」

泣いたり怒ったり、また泣いたり。

同じ話を何度も繰り返した。

夕方六時から料理を作って待っていたこと。

約束したのに連絡もないこと。

何時間も一人で待っていること。

その言葉の一つ一つが痛々しかった。

「小夜ちゃん、今日はもう寝よう」

「嫌よ!」

まるで子供のようだった。

私はしばらく話を聞いた。

けれど終わりが見えなかった。

「ごめんね。また明日聞くから」

そう言って電話を切った。

次の日。

小夜ちゃんは店に来なかった。

無断欠勤だった。

胸騒ぎがした。

電話をかけても繋がらない。

留守番電話だけが虚しく流れる。

昨夜、もう少し話を聞いてあげればよかった。

そんな後悔だけが残った。


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