小夜ちゃんが無断欠勤した翌日も、美月は落ち着かなかった。
あの夜の電話。
泣き叫ぶ声。
何度も繰り返された同じ言葉。
どうしても胸騒ぎがして、仕事帰りに小夜ちゃんのマンションへ向かった。
「ピンポーン」
返事はない。
もう一度だけ押してみる。
「ピンポーン」
しばらくして、
カチャ――
小さな音とともにドアが開いた。
「小夜ちゃん……」
思わず言葉を失った。
髪は乱れ、目は真っ赤に腫れ上がり、どこを見ているのか分からないほど虚ろだった。
けれど美月は何も言わなかった。
その顔を見ただけで、何があったのか大体分かってしまったからだ。
「入って」
小夜ちゃんは力なく言った。
部屋の中も相変わらず散らかっていたが、それ以上に部屋全体が沈んだ空気に包まれていた。
「今日、お店休んだでしょう。店長、怒ってたわよ」
「もういいの……」
小夜ちゃんはぽつりと呟いた。
「私なんて、誰にも必要とされてないから」
「そんなこと言わないで。何があったの?」
しばらく黙っていた小夜ちゃんは、やがて観念したように話し始めた。
「昨日から何度も伊藤さんに電話したの」
「うん」
「でも出てくれなくて……」
小夜ちゃんは震える声で続けた。
「気がついたら、自宅にまで電話しちゃったの」
美月は息を飲んだ。
「そしたらね……」
小夜ちゃんは目を伏せた。
「もういい加減にしてくれって怒られた」
静かな部屋に、その言葉だけが重く落ちた。
「私はただ会いたかっただけなのに」
「……」
「迷惑かけるつもりなんてなかったのに」
涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「もう来ないって言われた」
美月は返す言葉を失った。
慰めようとしても、どんな言葉も薄っぺらく思えた。
「私ね」
小夜ちゃんは笑った。
泣いているのに笑った。
「いつもこうなの」
「好きになると止まらなくなる」
「……」
「相手しか見えなくなる」
そして力なく続けた。
「だから捨てられるの」
その夜、美月は小夜ちゃんを一人にして帰れなかった。
二人でお酒を飲みながら、朝まで話を聞いた。
伊藤さんのこと。
礼子さんのこと。
どうしても欲しかった愛情のこと。
その姿を見ながら、美月は雅子ママの言葉を思い出していた。
「本気で好きになりなさい」
夜の世界では、そんな教えがある。
けれどそれは恋愛の話ではない。
仕事としての覚悟の話だ。
恋と執着は似ている。
けれどまったく違う。
小夜ちゃんは優しい人だった。
料理が上手で、人に尽くすことが好きで、
誰かのために何かをしている時が一番幸せそうだった。
だけど愛されたい気持ちが強すぎるあまり、
いつしか相手を追いかけることが愛だと思ってしまった。
数か月後。
小夜ちゃんは銀座を去った。
故郷の金沢へ帰り、
地元の男性と結婚したと風の便りで聞いた。
今頃はきっと、
誰かのために美味しい料理を作っているのだろう。
一方、伊藤さんは再び礼子さんのもとへ戻った。
何事もなかったかのように店へ現れる。
その姿を見るたびに、
美月の脳裏にはあの日の小夜ちゃんの顔が浮かんだ。
待ち続けた果てに、
自分を見失ってしまった女性の顔が。
そしてそんなある日――
『クラブ・ヴィーナス』に、一人の新人が入店してきた。
名前は、
さゆり。
その瞳の奥には、
誰にも見せない深い闇が隠されていた。