【連載小説】第72話 恋のはじまり

【連載小説】第72話 恋のはじまり

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『今日はオープン祝いだ!乾杯しよう!』

ヴィーナスの開店からしばらく経った頃だった。

その夜も店内は賑わい、
シャンパンと笑い声が飛び交っていた。

普段はお酒が苦手な私まで、
気がつけばかなり酔っていた。

『美月ちゃん、大丈夫?』

そう声を掛けてくれたのが駒ちゃんだった。

色白で上品な顔立ち。

派手さはないけれど、
なぜか人の心をほっとさせる不思議な魅力を持った女性だった。

その日を境に私たちは急速に仲良くなった。

駒ちゃんは地方で芸者をしていたお母さんに育てられた。

三味線が好きで、
着物姿もどこか粋だった。

いつか東京で成功して、
お母さんを呼び寄せて一緒に暮らしたい。

それが彼女の夢だった。

ある時、お店の旅行で温泉へ行った。

一緒に湯船に浸かった時のことだ。

私は思わず息を飲んだ。

駒ちゃんの肌は雪のように白く、
傷ひとつなく、
まるで日本画から抜け出してきた女性のようだった。

同性の私ですら見惚れたくらいだから、
男性ならなおさらだっただろう。

けれど人生とは残酷だ。

その美しい身体が、
一年も経たないうちに大きく変わってしまうことを、
その時の私は知るはずもなかった。

そんな頃だった。

雅子ママが伊豆に購入した別荘へ、
みんなで遊びに行くことになった。

海の近くに建つ和風の別荘。

手入れの行き届いた日本庭園。

陶芸家が作った大きなテーブル。

夕方には庭でバーベキューが始まった。

潮風が心地良く、
みんな笑顔だった。

いつもスーツ姿の田中さんも、
その日だけはラフな格好でどこか少年のように見えた。

ところが楽しい時間は突然終わった。

『美月ちゃん……』

駒ちゃんが苦しそうな声を出した。

顔色は真っ青で、
お腹を押さえながら汗を流している。

私たちは慌てて母屋へ運び、
田中さんの運転で病院へ向かった。

診断はウイルス性胃腸炎。

一晩点滴を受ければ大丈夫とのことだった。

それを聞いて、
全員が胸を撫で下ろした。

『本当に良かった』

私がそう言うと、
田中さんも静かに頷いた。

病室のベッドの上で、
駒ちゃんは力なく微笑んだ。

痛み止めが効いてきたのだろう。

その表情はどこか儚く、
守ってあげたくなるような美しさがあった。

田中さんは何も言わなかった。

ただ黙って駒ちゃんを見ていた。

それまで多くの女性を見てきた人だった。

華やかな女性も、
美しい女性も、
数え切れないほど出会ってきた。

けれど人は時として、
思いがけない瞬間に心を奪われる。

それは豪華なドレス姿でもなく、

華やかな銀座の夜でもなく、

病室の白いベッドの上だった。

その時、
田中さんの胸の奥で何かが静かに動き始めた。

それは小さな恋のはじまりだった。
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