【連載小説】第53話 疑いの気配

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幸ちゃんは、その後すぐに離婚が成立した。

まるで過去を切り離すような、あっけない幕引きだった。

そして今は——
西田さんと再婚し、新しい生活を始めている。

子どもを抱えたままの再出発。

それでも彼女は、ようやく“居場所”を手に入れたように見えた。

そんなある日。

またしても、麗子ママから呼び出しがあった。

事務所に入った瞬間、空気が違うと分かった。

『来てくれてありがとう』

その声は、いつもより硬かった。

『ちょっと聞きたいことがあるの』

『はい』

『ここ一ヶ月、お店の様子どうだった?』

曖昧な問いに、少し戸惑う。

『えっと……雨が多かったので静かな日が多くて——』

『違うの』

ぴしゃりと遮られた。

『感想はいらないの。事実だけ教えて』

その言葉に、思わず背筋が伸びる。

私は、思い出しながら答えた。

客数。
流れ。
おおよその来店状況。

けれど話しながら、自分でも分かっていた。

——こんな説明じゃ、足りない。

『やっぱり要領を得ないわね』

ため息混じりに、ママは言った。

そして少し間を置いてから、こう続けた。

『お願いがあるの』

その一言で、空気がさらに重くなる。

『来月一ヶ月でいいわ。
お客様の名前、人数、ボトルの有無を記録してほしいの』

『えっ、はい……分かりました』

反射的に答えた、その直後だった。

『ただし』

一瞬の沈黙。

『正木店長には、内緒で』

その言葉が、胸の奥に落ちた。

——どういうこと?

頭では理解している。

でも、感情がついていかない。

正木店長は、いい人だ。

優しくて、穏やかで、
この店で唯一、安心できる存在だった。

その人を——疑えというの?

『できる?』

ママの視線は、逃げ場を与えなかった。

『……はい』

気づけば、そう答えていた。

それからの一ヶ月。

私は毎日、店が終わるたびに記録をつけた。

客の名前。
人数。
ボトルの数。

何度も、店長に話しそうになった。

でも、そのたびにママの言葉がよぎる。

——内緒で。

気づけば私は、
この店の中で、ひとりだけ別の役割を持っていた。

そして一ヶ月後。

再び事務所へ呼ばれた。

『お疲れさま』

ママは淡々と言った。

『まだ確定じゃないけど、
正木店長について、あまり良くない話を聞いたの』

やっぱり、そういうことだった。

『でも……店長はそんな人じゃないと思います』

思わず口にしていた。

『帰っていいわ』

その言葉は、会話を終わらせるものだった。

それ以上は、何も聞けなかった。

事務所を出たあと、
胸の奥に、妙な違和感が残った。

信じたい気持ちと、
見えない何かが崩れ始めている感覚。

お店は、本当に安全なのだろうか。

そう思ったのは、
この時が初めてだった。
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