「もどろきの 神に祈りて 無事還る」
古来より旅の安全と無事帰還を祈願する神社です。
小さいけれど素敵な神社ですよ!
比良比叡トレイルの入山下山口の向かい
和邇川(わにがわ)に架かる
朱塗りの橋を渡ると還来神社があります。
鳥居は両部鳥居で、密教の金剛・胎蔵の両部を表し、
神仏習合の名残を示していて、鳥居をくぐると
「梛の木(なぎのき)」が御神木として祀られています。
還来神社or還来神社前バス停前を
ビュンビュン走り抜ける大型車などに注意して
還来神社登山口👆へ渡りましょう。
◇アクセス◇
土日は午後便有。下山のアクセスには不向きです。
江若交通バス時刻表を確認してお出かけください。
平日:JR堅田駅 59系統(伊香立小学校行き) 07時58分発
下車:伊香立中学校前 08時11分着
還来神社まで徒歩22分程度/1.7km
土日:JR堅田駅 51系統(細川行き)
堅田駅発 08時50分
下車:還来神社前着 09時11分
《還来神社(もどろきじんじゃ)》
御祭神、藤原旅子は第五十代桓武天皇の皇妃にして、
第五十三代淳和天皇の生母であり、
太政大臣・藤原百川(ふじわらのももかわ)の女(娘)です。
往昔、此の龍華の荘(大津市伊香立途中町、
上龍華町、下龍華町)は藤原氏の食邑地にして、
当時其の邸宅あり、旅子此処に生まれる。
長じて比良の南麓、最勝寺の開祖、静安に随侍し佛に帰依す。
土俗称して蓮華婦人という。
静安、勅を奉じ、しばしば宮中に参候して、
佛名会、灌佛会等を行っていました。
是により才色兼備旅子、桓武天皇に召し出され、
第五十三代淳和天皇を生み奉られました。
旅子甚だしく帝の寵愛深りしが、京都西院に隠棲され、
延暦七年(西暦778年)五月十八日病を得て逝去されました。
病重篤と成りし時『我が出生の地、
比良の南麓に梛(なぎ)の大木有り、
その下に葬る可し』と遺命されし故、
此処に神霊として祭祀さる。(鳥居真正面の古木が梛の木)
放送回の流れより、ちょっとだけ?旬を過ぎた話題から、
「鎌倉殿の13人」ということもあり源氏ゆかりの地!
ここは滋賀県なので、京都検定の圏外です。
◆源氏の信仰◆
平治の乱(西暦1159年)起こりし時、
戦に敗れし源義朝の一行は八瀬大原街道を敗走、
ようやくにして此の還来神社社頭に着き、
白羽鳴鏑の矢を献じ武運長久を祈願する。
此の一行に有りし源頼朝、落伍し途中の山に迷い乍らも、
やがて還来神社に到着、源氏の再興を祈願し、東国へと走る。
後年、頼朝源氏の頭領として君臨せし時、
此の還来大明神を忘れ難く神田を寄与す。
『源義朝』について知っておこう!
平安末期の武将、清和源氏の嫡流為義の長子(長男)。
鎌倉殿(源頼朝)の父。1156年保元の乱にて後白河天皇方につき,
夜襲を献策して勝ったが、平清盛とともに功をあげ、
勝利ののち父など一族を処刑、左馬頭(さまのかみ)となった。
以降、平清盛の勢威を不満として対立,藤原信頼と組んで平、
治の乱を起こし敗れ,東国への敗走中,
尾張野間の家人・長田忠致のもとで,浴室で謀殺された。
同じ旅の安全祈願&鎌倉殿の13人の
京都ゆかりの地!的には「首途(かとで)八幡宮」かも。
遮那王が奥州平泉の藤原秀衡頼って旅立つ際に、
首途八幡宮で旅の安全祈願をして出立したそうです。
京を出立して三日後には熱田神宮で
稚児姿を捨て元服して、『九郞義経』と名乗った。
京都検定的には、京都にも同じ名前を持つ神社あり。
【西院還来神社】
西院春日神社の境内にある神社。
祭神は淳和天皇の皇后正子と藤原旅子、橘嘉智子。
貞観十六年(八七四)四月十九日、
皇后の御殿が火災にみまわれた折、
皇后は逃げ惑う女官たちに対して毅然とし、
自ら避難のご指示をされました。
女官たちは、皇后のお言葉に心を鎮め、
仮御殿に避難をしたところ皇后の御殿のみが焼失をまぬがれ、
四月二十七日、皇后は無事晴れやかにお還りになりました。
後世、皇后のご功績をたたえて、
元にもどり還り来る「還来の大神」として崇められ、
旅行・道中の安全守護とし、
現在でも天皇皇后両陛下の海外行幸啓には、
両陛下や供奉員の安全を祈願されます。
「もどろきの 神に祈りて 無事還る」
皆様の旅の安全、登山&トレランの安全を願っています。
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ご縁を有難うございます。
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