進める可能性

記事
コラム
一泊でも良いから遠出ではない旅行に一緒に行こうと誘われて、

後日「人生変えちゃう、一泊旅」という雑誌を見かけた時、

その雑誌から、ちょっとした分かれ道が現れたが・・・。


不思議なのは、その翌日か翌々日に、

その雑誌から示された行き先と全く同じ場所を探訪する

テレビ番組が自分の視界に入ってきたことだった。


出かけた先でテレビのある場所に入った瞬間に、

そのテレビ番組の放映が始まったのは驚かずにはいられない。


特に大事な場所として心に強く刻まれているわけではないし、

意識を向けているつもりもなかったし、

個人的な好みとの関連性が深い場所にも見えない。


当初予定していた日程を変えざるを得ない状況になって、

当初より1週間ほど行くのが遅れることになってしまうが、

その方が天候が良さそうな気配。


雨が降っている時に行くような場所ではないし、

頼めば喜んで案内を引き受けてくれる方も一緒に来てくれるという話。


そして昨日は、ほんのちょっとで夢のような時間がやってくる、

そんなフレーズが書かれている本が目に入り、

その本では前述した雑誌やテレビ番組で見た場所と同じ所が紹介されていた。


そんなに行って欲しい何かが存在しているのか。

それともただのダミーか。


極端な話、以前も書いたステージ4の癌による2年の余命宣告が

取り消されるほどの回復をされた方に生じたような慈愛の奇跡は、

いつ、どんな場所で、どんな過ごし方をするとしても周囲に存在している。


だけど、全てが人や命の主観が思い描いているような極めて都合の良い

華やかな現象、輝かしい現象として現れるわけではない。


きっかけや発端が些細なことや地味なことが多い上に、

あまりにも然りげ無く現れるため、

人間の思考や感情、感覚では理解が及ばない時も多いのが一般的か。


どこにどんな人や命に向けた慈愛が込められているかは、

かなり人間の想像を超えている。


人々や命は周囲に存在している宝物に通じる道への鍵を、

気付かぬうちに自ら廃棄処分していることも多いだろう。


だからといって、出現する分かれ道を片っ端から丁寧に活かしていけば、

必ず重要な分岐点を通ることになると断言できるものでもない。


実際は何かしらの慈愛の奇跡のような現象が自分に向けて起きていたのかもしれないが、

傍から見たら間抜けにしか見えないような時間を過ごした時もある。
(自分の感覚、知能レベルでは理解不能だった。)


ただ、もし自らを囲っている慈愛の奇跡と

常に二人三脚のように生きられる意識が誕生して、

それが日常的な文化や習慣として根付く世界が生まれるなら。


以前書いたような、不平、欠乏、冷淡、悪意といった

暗闇の世界線が無くなる世界へ進める可能性を

人や命は得られるだろう。


上辺の現象しか見ることができず、間抜けな時間を過ごしてしまう時があるとしても、

地球そのものがそのような大きな光へと歩を進められることに、

ほんの少しでも繋がるのなら。


途中で自身が馬鹿を見るような出来事が起きるとしても、
(それも自身の主観的な解釈で、自らが世界を歪ませているのかもしれない)

ダミーの可能性を持つ分岐点に思い切って関与するのは悪くない。


ステージ4の癌からの回復という単一的な影響に留めておくべきものではなく、

もっと普遍的に届いた方が良い光の影響なのだから。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す