善意との一体化

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コラム
日々現れる非常に然りげ無くて些細に感じられる、

ちょっとした分かれ道。


その分かれ道は、その後の生きる時間に重大な影響を与えるほどの

物凄く大切な分岐点である可能性を持つなら。


その分岐点が既に人々に起こっているとしたらと書いたが、

この分岐点は命が意図する前に既に存在しているものだと想定しておく。


因果関係になっているように感じられなくても、

歩を進めた先で非常に重要な分岐点となるような光が起こり得るなら、

理論やエビデンスなどに囚われない方が良い。


理論やエビデンスに拘ると、ちょっとした分かれ道からの

大切な分岐点を見落すことが自然と多くなってしまうだろう。


このような話と縁を持つ者達は、

右脳、直感、感覚派の命が大きな割合を占めると思われるが、

左脳、理論要素と右脳、感覚要素の両方の感性が

豊かに備わっている場合は発想を柔軟に切り換える。


先日、一泊でも良いから旅行に行きたいと誘われる現象が発生したが、

これもまた、一つの分かれ道か。


遠出の感覚は湧き上がってこないということで、

その誘いを持ってきた相手が住む県内を旅行の対象とすることを考えたが、

後日、「人生変えちゃう、一泊旅」という雑誌を見かける。


その雑誌を見る前に誘いを持ってきた相手が住んでいる県内の何かが、

その雑誌の内容に入っているという不思議な確信があったが、

一番最初の紹介ページにやはり書かれていた。


そして、一泊旅の方へ歩を進めるべきかと思っていたところ、

自分と相手の旅行の希望日が同じであることが判明。


ある選択肢を選んだ時、選ばなかった時の未来を正確に見通せる

ファンタジーらしい(?)特殊な能力でもあれば、

些細な分かれ道が本物の分岐点なのか、それともダミーなのかが

すぐに見抜けるが・・・。


実は全部本物で、人や命が活かせていないだけという

可能性もあるのかもしれない。


前に書いたステージ4の癌の2年の余命宣告が取り消された方もそうだが、

大抵そういう美しい奇跡というのは、いつの間にか、

そんな成り行きになっていたというような空気感で起こる傾向が見られる。


それに現れた分かれ道が本物の分岐点であるか、ダミーなのかを

客観的に100%保証、証明できるほどの頭の切れと直感力は、

残念ながら自分にはまず望めない。


たとえ奇想天外な道のように見えたとしても。

どれだけ脳や人間としての習慣が変化に対して反射的な抵抗をしてきたとしても。

人間らしい主観からでは全く因果関係が存在しない意義のない現象に思えたとしても。

たとえ歩を進めた先で何も起こらなかったように感じられたとしても。


自分自身と地球そのものを誰よりも優しく想い、

分かれ道を通して常に命に美しい奇跡への道を作ろうとしている、

世界の善意の意志を信じ続けること。


その善意の意志と奇跡への道が、命が求めてきた

自分自身と世界の姿であることを信じ続けること。


不平、欠乏、冷淡、悪意。

そんな暗闇の世界線の時間と存在を終わりにする。


それは世界の善意の意志と一体化できる

意識の育みによって誕生していく。


主観的な苦手意識。

未知への怯え。

人間らしい先入観や価値観。


それらを全て超えて、突き進んで行け。
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