ブランドとは何か?
10代後半から20代前半、私はDCブランドブームの真っ只中にいた。Y's、コム デ ギャルソン、NICOLE、BIGI...なけなしの給料を全投入して、その服を買っていた。今の価値観から見ても、決して安くはない。その年代にしては、むしろ高価だった。今考えると不思議だ。なぜ、あんなに服を買えたのか?そして、全力で遊んでいた。良い時代だったな〜笑。過去の亡霊..と揶揄されそうだが、その時代については、貴重な史実でもあるので、また改めて再考してみたい。
話が脇道に逸れたが、あの頃の服への投資は、確実に私を「目利き」へと導いた。良い素材、美しいパターン、構築的なデザイン。一つ一つ手触りを確かめ、袖を通し、自分の肌で感じたからこそ、目が肥えたのだ。本物を知るということは、結局、本物に触れ続けるしかない。安いもので妥協していたら、今の私の感覚は育たなかったと思う。
偽バーキンが暴いたもの
一昨日、こんなニュースを見た。エルメスのバーキンの偽物を質屋が見抜けず、被害総額は1億円に及んだという。
私が驚いたのは、被害金額の大きさではない。質屋という「目利きのプロ」が、偽物を見抜けなかったという事実そのものだ。しかも、1度だけではなく、数店をハシゴし、その全てが騙されていたという。
私自身も買取店を利用したことがある。普通は店頭で「これはご自身で大切になさってください」とか言われる。かつて、義理の父の時計を売ろうとした時、そう言われたことがある。笑。その時に話したスタッフによると、今はスマホで写真を撮り、AIが鑑定することも増えているのだそうだ。つまりこういうことだ。本物の手触りを知らない素人のような人が、鑑定を担っていることも少なくないと。手で素材感や縫い目の密度を確かめたことのない人が、画面越しの画像だけで「本物」と判定している。メルカリやヤフオクで売られているものも、気をつけなければいけない。
この報道を受けて、Threadsでさまざまなコメントが流れているのを見た。その中に、こんな一文があった。
『精巧な偽物は、もはやブランドなのではないか...』。
いや、違う。ブランドのタグをつけた偽物は犯罪だ。ブランドには文化があり、背景があり、歴史がある。私たちはその服そのものではなく、その服が背負ってきた物語、職人の手の記憶、ブランドが時代と対話してきた軌跡...その付加価値にお金を支払っているのだ。偽物には、文化も背景も歴史もない。ストーリーがない。ただの「もの」だ。それを身につけたところで、何かを纏ったことにはならない。模倣された記号を、身体に貼り付けているだけだ。
私は今、心理学を学んでいる。その知見からすれば、心理学的に見ても、偽物を纏う行為は、本人の精神に静かな負荷をかけ続ける。「自己同一性(self-identity)」という概念がある。私たちは身につけるものを通して、自分が何者であるかを社会に提示し、同時に自分自身にも確認させている。本物を纏うとき、そこには「私はこの文化的価値を理解し、選び取った人間だ」という一貫した自己認識が成立する。
しかし偽物を纏うとき、そこには常に「これは本物ではない」という事実が、意識の奥に貼りついてしまう。表面的には同じデザインのバッグを持っていても、脳の中では「本物の自分」と「偽物を演じている自分」の間に、絶えず小さな矛盾が生じる。心理学ではこれを「認知的不協和」と呼ぶ。自分の行動と自己認識が一致しないとき、人は無意識に不快感やストレスを感じ続ける。
さらに厄介なのは、これが一度きりで終わらないということだ。偽物だと気づかれることへの不安、本物かと聞かれた時に嘘を重ねる選択、その嘘を一貫させるための小さな緊張...これらは慢性的な認知的負荷として、自己肯定感を静かに削っていく。脳にとって「本物のふりをし続ける」ことは、想像以上にコストの高い作業なのだ。
つまり偽物を纏うことは、経済的、法的なリスクだけではない。自分自身の内側に、解消されない小さな矛盾を住まわせる行為でもある。誰の目にも見えないその矛盾は、しかし本人の脳だけが知っている。偽物を持つことは、ある意味で「自分自身も偽物である」という静かな証明を、無意識に積み重ねていく行為だ。
本物を選ぶという行為が、実は最も「自分に優しい」選択である理由は、ここにある。
「目利きの不在」という、もっと根深い問題
ただ、私がこのニュースで本当に考えさせられたのは、偽物そのものよりも、「目利きが消えている」という社会全体の現象だ。質屋だけの話ではない。アパレル業界の現場でも、同じことが起きて
そもそも、完全にゼロから生まれる「新しいデザイン」は、もうほとんど存在しない。袖の形も、丈の長さも、シルエットも、人類はこの100年で出せるパターンをほぼ出し尽くしている。今のデザインという仕事の本質は、「何を新しく作るか」ではなく「すでにあるものを、どう組み合わせ、どう編集し、どう新しく見せるか」という再定義の作業に移っている。前回も書いたが、これこそが80年代に生まれた「編集&コーディネート型」という発想の、現代における再来だと思う
その文脈においてファッションデザインという仕事は、本質的に「無数のコレクションを見て、その中から自分の感性に響くものを選び取り、自分の文脈でアレンジして商品に落とし込む」という行為でもある。私自身、オンワード樫山でデザイナーをしていた頃、世界中のコレクション資料を見て、あるいは実際にショーを見て、トレンドを読み、それを自社のブランド哲学に翻訳する作業を繰り返してきた
これは決して悪いことではない。ファッションの歴史は、常に「引用と再解釈」によって作られてきた。シャネルはジャージー素材を労働着から解放し、川久保玲はパンクの破壊性を高級服に昇華させた。誰もが何かに影響を受け、それを自分なりに編集してきたのだ。
しかし、ここに非常に厄介な問題がある。「インスパイア」と「パクリ」の境界線は、驚くほど曖昧だということだ。あるブランドのシルエットを参照しても、そこにデザイナー自身のストーリーや哲学、時代への眼差しが宿っていれば、それは「オマージュ」になる。しかし同じシルエットを、ただ表層だけなぞって、何の文脈もなく量産すれば、それは「パクリ」になる。その線を引けるのは、結局「目利き」しかいない。素材の本質を知り、パターンの構造を理解し、デザイナーが何を考えてその形を選んだのかを読み解ける人間。そういう目を持った人が、業界にも、消費者の側にも、確実に減っている。
AIが瞬時に画像を解析し、トレンドを要約し、デザイン案すら生成できる時代に、「これは本物の創造か、それとも巧妙な模倣か」を見極める力は、むしろ希少価値を増している。質屋の鑑定士が偽バーキンを見抜けなかったのと同じ構造が、ファッションデザインの現場にも、静かに広がっているのだ。
だから、私はこの仕事をしている
この問題意識から、私は今シーズン、新しい試みを始めることにした。2026-2027年秋冬のファッショントレンド分析レポート(7,980円)を、6月25日に販売開始する。
これは単なる「今季の流行一覧」ではない。コレクションはもちろん、Première VisionやWGSNといった世界のトレンド機関の発信を読み解きながら、なぜそのカラーが、なぜそのシルエットが、今この時代に選ばれているのかという「文脈」を編集者としての目で言語化したものだ。
文化服装学院でデザインを学び、オンワード樫山でデザイナーとして実際に服を作り、繊研新聞やWWD Japanでフリーのファッションライターとして業界を見つめてきた。その全ての経験を使って、トレンドの裏側にある社会背景や美学の構造を読み解いていく。表層のトレンド情報をなぞるだけのレポートとは、一線を画したいと思っている。
目利きが消えていく時代だからこそ、本物の質感を知る人間の言葉には価値があると思っている。それが、デザイナー出身の編集者である私にしかできない仕事だと、今は確信している。
なお、6月23日のブログでは、レポートの内容を少しだけ先行公開する予定だ。総括ページとキーカラーの分析した、このレポートがどんな視点で書かれているか、本編発売前に興味のある人は少し覗いてみてほしい。
目利きが消えていく時代に、ファッションを「文化」として、もう一度きちんと語りたい人に届けば嬉しい。
▼2026年6月25日リリース