2026-2027秋冬コレクションに思うこと
パリ、ミラノ、ニューヨーク、東京。今季も各都市でコレクションが発表された。しかし正直に言おう。かつてあの場に漂っていた、空気を震わせるような興奮が、今は薄い。数字を見ればそれは明らかだ。コロナ禍を経て、コレクションの数は世界規模で減少した。中止、縮小、デジタル移行...ファッションショーと言われる、コレクションのあり方そのものが問い直されたのだ。
だが問題はコロナではない。コロナはただ、すでに進行していた変容を加速させただけだ。
あの頃、ファッションは夢だった
1980年代のことを話そう。
私が文化服装学院でアパレルデザインを学んでいた頃、ファッションは純粋に「夢の産業」だった。コレクションは、年に二度訪れる、業界全体が固唾を飲んで見守るエンターテインメントだった。デザイナーはスターだった。ニコルの松田光弘先生(故人)は颯爽とポルシェで現れ、特別講義で壇上に立たれたとき、私たちに「いつかはこういう車に乗るようになれ!」とおっしゃった。川久保玲、山本耀司、菊池武雄...誰もがスターデザイナーに憧れた。
忘れられない体験がある。敬愛する高田賢三先生(故人)のコレクションに、フィッターとして裏方参加させていただいた時のこと。高田先生は姫路のご出身。その縁からか、白鷺城(姫路城)をバックに、壮大なショーが行った。マドンナの曲が流れる中、モデルたちが次々とランウェイを歩く。あの瞬間の光景は、30年以上経った今でも鮮明に目に焼き付いている。感動というより、震えだった。これがファッションだ。私もこうなりたい...そう心が叫んでいた。
その後も様々なショーに関わった。バックステージの緊張感、ランウェイから戻ってきた時のモデルの解放感、そして会場を包む熱狂を、何度も何度も体感した。あの頃のショーには、見る者の人生を変えてしまうような力があった。ファッションは文化だった。時代の空気を纏い、社会の変化を先取りし、人々の欲望を可視化する...それがコレクションの役割だったのだ。
ではなぜ今、コレクションは「感動」を失いつつあるのか。
作り手が夢を語れなくなった時、着る側も夢を見ることをやめた。
表向きの理由は語られている。サステナビリティへの配慮、年2回から年4回以上に膨張した発表スケジュールの疲弊、SNSによる即時消費の加速.
確かにそれらは本物の問題だ。しかし私が感じる最大の問題は、もっと根深いところにある。コレクションが、自己目的化しているのだ。
かつてのコレクションは「時代へのメッセージ」だった。ヴィヴィアン・ウエストウッドはパンクを纏って体制に抗い、川久保玲は「穴の開いた服」で美の概念を破壊した。イッセイ・ミヤケは素材そのものを彫刻に変え、高田賢三は異文化の融合で世界に色を爆発させた。彼らのコレクションには、社会への問いがあった。見る者を挑発し、揺さぶり、考えさせる力があった。
今はどうか。キレイめな服が並ぶ。技術は確かに高い。しかし「だから何だ」という問いに、答えられるコレクションがどれだけあるだろうか。そしてその「だから何だ」は、いつの間にか着る側にも伝染した。「服?だから何だ」という、そんな卑下した位置付けに、ファッションそのものが貶められてしまったのではないか。ファストファッションの台頭は、消費者の怠慢ではない。夢を語ることをやめた業界が、自ら招いた必然なのかもしれない。
同質化という静かな死
さらに深刻なのが「同質化」だ。
グローバルなトレンド予測機関が発信するデータを、世界中のブランドが参照する。WGSNが「ティールがキーカラーだ」と言えば、翌シーズン各社のコレクションがティールで溢れる。パントーンがカラーオブザイヤーを発表すれば、その色が一気に量販店まで浸透する。
これは効率的だ。しかし致命的でもある。
個性とは、他と違うことで生まれる。全員が同じデータを見て、同じ方向に動けば、必然的に服は似てくる。ラグジュアリーも、ハイストリートも、気がつけば同じシルエット、同じ配色、同じディテール。消費者は無意識にそれを感じ取っている。だから「なんとなく欲しいものがない」という感覚が広がる。だからファストファッションに流れる。安くて、そこそこおしゃれで、どうせ似たようなものだから。という諦めの消費が、業界全体を緩やかに侵食している。
ファッションに夢がなくなった時、文化もなくなる。これは比喩ではない。
これからファッションはどこへ向かうのか
では、この先に何があるのか。
今季のコレクションを分析していて、かすかな希望の光を感じるブランドがいくつかある。LVMHプライズのセミファイナリスト、コペンハーゲン発のNicklas Skovgaardは、大量生産を拒み、一着に時間をかけることを宣言している。「感情的耐久性」。彼が提唱するこの概念は、使い捨て消費への静かな反乱だ。Jil Sanderは「ホームワードローブ」というテーマで、ミニマリズムに意図的な「不完全さ」を持ち込んだ。完璧すぎる服に人は飽きている、というメッセージだ。
つまり、次のファッションの鍵は「データ」でも「トレンド」でもなく、作り手の哲学と覚悟にある。
80年代に高田賢三先生が姫路城でマドンナの曲に合わせてモデルを歩かせた時、そこにはデータなど一ミリも関係なかった。あったのは、世界を驚かせたいという欲望と、ファッションへの純粋な愛だった。
コレクションをやる意味は、そこにしかない。時代を映す鏡として、社会に問いを投げかける行為として。それができないなら、コレクションはただの高価な展示会に過ぎない。ファッションが文化であり続けるために。
作り手にも、伝える側にも、着る側にも、もう一度「なぜこの服なのか」を問い直す覚悟が必要だと。私はそう思っている。
その問いへの、私なりの答えとして。デザイナー、編集者として現場を見てきた目で分析した2026-27年秋冬トレンド分析レポートを、6月25日にリリース予定です。さらに7〜8月には、トレンドを実際のアイテムに落とし込んだ5テーマ×デザイン提案パックも順次投入していきましょう。
「だから何だ」ではなく、「だからこれだ」と言えるファッションを、一緒に考えていきましょう。