「夜の底が白くなった」と「青い夜の闇が庭を包んだ」――文学的な文章に難しい言葉はいらない

「夜の底が白くなった」と「青い夜の闇が庭を包んだ」――文学的な文章に難しい言葉はいらない

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学び

村上春樹の小説を読んでいて、ふと目に留まった一文があります。

「青い夜の闇が庭を包んだ」(『ノルウェイの森』文庫版、下・200頁)

この文章を読んだ瞬間、私の頭に別の文章が浮かびました。

川端康成『雪国』の有名な一節です。

「夜の底が白くなった。」

もちろん、この二つの文章が直接関係していると言いたいわけではありません。

私が興味を持ったのは、まったく別のところです。

どちらの文章も非常に短い。そして「夜」「闇」「青」「白」といった、私たちが日常的に使っているごく基本的な言葉からできています。

それなのに、強く情景が浮かび上がってくる。

なぜなのでしょうか。

 「闇」が庭を包む


まず、

「青い夜の闇が庭を包んだ」

という文章を考えてみます。

普通に書くなら、

「夜になり、庭は暗くなった」

でも状況は伝わります。

しかし村上はそう書きません。

「闇が庭を包んだ」

と書く。

ここでは「闇」が、単なる光のない状態ではなくなっています。

「包む」という動詞が置かれた瞬間、闇が何らかの物質性を持ちはじめる。

私はこの文章から、風呂敷や大きな布のようなものを連想しました。

何かが庭の上から覆いかぶさり、その全体を包んでいく。

もちろん実際の闇に布のような実体があるわけではありません。

しかし、「闇」と「包む」を接続することで、目に見えないものに形が与えられます。

川端康成は「夜」に底を作った


一方、

「夜の底が白くなった。」

も不思議な文章です。

考えてみれば、「夜」に「底」などありません。

夜は時間でもあり、暗さでもあります。

ところが川端は、そこに「底」という空間的な言葉を置きました。

すると突然、「夜」というものが上下方向を持った空間として立ち上がります。

その底が「白くなった」。

雪景色を細かく説明しているわけではありません。

それなのに、暗い夜の下方に白い雪景色が浮かび上がってくるような像が生まれます。

村上春樹が、

闇=何かを包むもの

として捉えたとすれば、川端康成は、

夜=底を持つ空間

として捉えている。

どちらも、現実をそのまま説明しているのではありません。

現実を見るための枠組みを、ほんの少しずらしているのです。

難しい色彩語を使っていない


もう一つ、私が面白いと思ったのが色です。

村上は「青」。

川端は「白」。

どちらも非常に基本的な色彩語です。

もし文章を「文学的」にしようと力んでしまったら、もっと凝った色の名前を探したくなるかもしれません。

あるいは形容詞を増やしたくなる。

たとえば、

「深く静謐な蒼色の夜の闇が、眠りについた庭を柔らかく包み込んでいた」

などと書くこともできます。

しかし、言葉を増やせば文学的になるわけではありません。

むしろ修飾を重ねすぎると、「美しい文章を書こうとしている作者」が文章の向こうから見えてしまうことがあります。

村上も川端も、ここではそんなことをしていません。

青。

白。

夜。

闇。

庭。

底。

包む。

一つ一つ取り出せば、小学生でも知っているような言葉ばかりです。

普通の言葉同士の「関係」を変える


ここから私は、文学的な文章について一つ考えました。

文学的な文章を書くために、文学的な言葉を探す必要はないのではないか。

重要なのは、語彙そのものの珍しさではなく、言葉と言葉をどう結びつけるかなのかもしれません。

「夜」と「底」。

「闇」と「包む」。

それぞれの言葉は普通です。

ところが、この組み合わせには少しだけ違和感があります。

夜には底がない。

闇には手も布もないから、何かを包むことはできない。

その小さなズレによって、読者は一瞬立ち止まります。

そして、自分の頭の中でその光景を作ろうとする。

つまり作者がすべてを説明するのではなく、普通の言葉を少し変わった関係に置くことで、読者に像を作らせているのです。

「文学っぽい文章」を書こうとしない


小説を書いていると、ついつい「文学的な文章を書きたい」と思ってしまいます。

すると、

美しい形容詞を探す。

難しい言葉を探す。

珍しい色彩語を探す。

比喩を重ねる。

しかし、それがかえって文章を野暮にしてしまうことがあります。

「夜の底が白くなった。」

これほど短い。

「青い夜の闇が庭を包んだ」

これも短い。

だからこそ、中心となる比喩が裸のまま読者の前に置かれます。

余計な説明がないため、「底」と「包む」が強く残るのです。

語彙を豪華にするより、世界の見方を少し変える


この二つの文章を比較して、私は小説を書くうえで大切なのは、必ずしも語彙の豊富さだけではないのだと思いました。

同じ夜を見る。

同じ闇を見る。

それを、

「夜だった」

「暗かった」

と書くこともできる。

しかし、ほんの少しだけ世界の捉え方を変えてみる。

夜に底を作る。

闇に庭を包ませる。

すると、ありふれた言葉から、それまで存在しなかった情景が生まれます。

文学的な文章とは、文学的な言葉をたくさん使った文章ではない。

むしろ、

普通の言葉によって、普通ではない世界の見方を提示すること。

川端康成と村上春樹の短い二つの文章を読み比べながら、そんなことを考えました。




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