村上春樹の小説を読んでいると、ときどき不思議な文章に出会います。
たとえば、こんな一節がありました。
「どうして手の中指は人さし指よりも長く、足の方は逆なのか」(『ノルウェイの森』文庫版・下183頁)
私はここを読んで、少し立ち止まりました。
なぜなら、この疑問を小説の中に書く必要があるのだろうか、と思ったからです。
少なくとも私が読んだ範囲では、この疑問によって物語が大きく動くわけではありません。重要な伏線として後から回収されるわけでもない。
もちろん、何らかの象徴として解釈することはできるかもしれません。
しかし、何でも象徴やモチーフとして回収しようとすると、今度は読者の側が作品に意味を与えすぎることになります。
むしろ私は、もっと単純なところに村上春樹らしさがあるように感じました。
こういうことを、小説の途中に書きたい作家なのではないか。
「なくても物語は成立する文章」
小説を書くとき、私たちは文章に「役割」を求めがちです。
この描写は人物の性格を示している。
この台詞は伏線になっている。
この場面が後半につながっている。
この小道具は作品全体のモチーフになっている。
こうして考えると、優れた小説とは、すべての文章が何らかの目的に奉仕しているもののように思えてきます。
ところが実際の小説を読んでいると、それだけでは説明できない文章があります。
先ほどの「手の中指と足の指」の疑問などは、その典型ではないでしょうか。
仮にこの一文を削ったとしても、物語の筋そのものには大きな影響がないように見える。
では、不要なのでしょうか。
私はそうとも思いません。
人間は「物語に必要なこと」だけを考えていない
現実の私たちの意識を考えてみます。
電車に乗っているとき、突然どうでもいいことを考える。
歩いていて看板の文字が気になる。
食事をしながら、何年も前の出来事を思い出す。
自分の手を眺めて、
「どうしてこの指はこっちより長いのだろう」
などと考えることだってあるかもしれません。
それによって人生が前進するわけではありません。
何か重大な結論にたどり着くわけでもない。
でも、人間の意識とは本来そういうものではないでしょうか。
もし小説の登場人物が、伏線になること、人物造形に必要なこと、物語を前進させることしか考えなかったら、むしろ人工的な人物になってしまうかもしれません。
そう考えると、物語を動かさない文章にも別の働きが見えてきます。
それは「意識の余白」を作ることです。
「無駄」と「機能する無駄」は違う
ここで私は、小説には「機能する無駄」があるのではないかと思いました。
一見すると必要がない。
削っても筋は通る。
伏線でもない。
物語上の大きな意味もない。
それなのに、その文章がなくなると、作品の手触りが少し変わってしまう。
たとえば、トリビアルな疑問を人物がふと思い浮かべることで、物語の時間が一瞬止まります。
読者も登場人物と一緒に、本筋から少し横道へそれる。
そして、また物語へ戻ってくる。
この「寄り道」が、小説独特の時間を作っているのかもしれません。
村上春樹から「無駄」だけを真似すると危険
ただし、ここには難しい問題もあります。
「村上春樹が雑学や脱線を書いているのだから、自分も書けばいい」
とはならないでしょう。
作品と関係のない知識を次々に書けば、それは単純に読みにくい文章になる可能性があります。
大切なのは、
「この情報は物語に必要か」
だけではなく、
「この寄り道によって、語り手の意識や小説の時間が生まれているか」
と考えることではないでしょうか。
これはかなり微妙な違いです。
必要な情報だけを書けば、文章は効率的になります。
しかし、効率だけを追求すると、小説はあらすじに近づいていきます。
反対に、無関係なことを何でも書けば、小説は散漫になります。
その中間に、「物語には不要なのに、小説には必要」という文章が存在する。
私はそこに、小説を書く難しさと面白さの一つがあるように思います。
作家の「癖」は作品世界を作る
以前、私は作家が繰り返し使う表現について考えました。
村上春樹には「あるいは……かもしれない」という独特の言い回しがあり、「やれやれ」という言葉もよく知られています。
こうしたものも、一つ一つを見れば「なくても物語は成立する」でしょう。
それでも繰り返されることで、その作家特有のリズムや世界との距離感が生まれてきます。
トリビアルな知識や疑問についても、同じことが言えるのかもしれません。
作者が意識的に技法として使っているのか、それとも単純にこういうことを書くのが好きなのか。それは作品だけから断定することはできません。
しかし、読者としてもっと面白いのは、
「なぜ作者はこんなことを書いたのか」だけではなく、「これを削ったら、この小説から何が失われるのか」
と考えてみることではないでしょうか。
小説感想サービスでは「削れる文章」の先まで読みます
小説へのアドバイスでは、
「ここは本筋と関係ないので削りましょう」
と言うことは簡単です。
しかし、本筋と直接関係がないことと、小説に必要がないことは同じではありません。
一見すると余計な描写や脱線が、語り手の個性を作っていることもある。作品の呼吸を整えていることもある。作者自身も気づいていない「その人らしい文体」が現れていることもあります。
私の小説感想サービスでは、単に「必要/不要」で文章を切り分けるのではなく、
その文章が作品の中で何をしているのか。
削った場合、何が失われるのか。
一見した「癖」が、その作品ならではの魅力になっていないか。
そうしたところまで読み込んで感想をお返ししています。