(1)問題
① その占い師は,私が暮らしていた村の隣村に住んでいた。「アファ」と呼ばれる卜占(ぼくせん)を行うクワシ氏はトーゴ出身のエウェ民族で,ふだんは農民として生計を立てている。温和な彼のところには,さまざまな悩みを抱えた人たちがやってきた。親族とのいさかい,恋愛関係のもつれ,仕事の悩み,それに病気。依頼者がやってくると,クワシ氏は自宅のヴェランダにゴザを敷いて座り,木の実の殻をつないで作った札を投げる。この札の表裏の出方をみながら占いを進めていくのだが,八つの札の出方のパターンは全部で二五六通りもあり,それぞれの型に名前と物語がついている。
② クワシ氏は,最初に出た札の型が示す寓話的な物語を語りだす。依頼者とのやりとりを通して入り組んだ問題に筋道をつけ,占いによって問題の原因を見極めていく。災難を引き起こすものとしてしばしば見いだされるのは,身近な他者による邪術(注1)だ。原因が推定されると,今度は問題を取り除くための儀礼が行われる。依頼者はアファの杜(もり)で供犠を捧げ。霊薬を呑み,さまざまな禁忌に従わなくてはならない。
③ 人生にふりかかってくる災厄に対して,人びとはどのような解釈を施し,いかに対処しているのか。これは古くからの人類学的テーマのひとつだ。一九二〇年代後半にスーダンのアザンデ社会で調査を行ったエヴァンズ・プリチャードは,妖術(注2)が不運な出来事に対する独特の説明原理となっていることを見いだした。たとえば,私が穀物小屋の陰で休んでいたときに小屋が倒れ,その下敷きになって怪我をしたとする。小屋が倒壊したのはシロアリに喰われて支柱が弱っていたからだ。だが,なぜ,この私が小屋の陰にいたまさにその時に小屋が倒壊したのか。通常の論理では説明できないこの「なぜ」という問いに,妖術は答えを与える。それは,妖術のはたらきによるものだと。
④ 妖術は,事象がなぜ人間に危害を加えるかを説明するのであって,どのようにしてそれが起きるかを説明)するのではない。(『アザンデの世界』
⑤ 「なぜ」と「どのようにして」。以来,このふたつの問いの区別は人類学的な災い研究の基本となった。妖術の論理は,「どのようにして」という物理的な原因―結果論を超えて,一連の因果関係の交叉が「なぜ」起きたのか,という実存的な問いに答える。それは,哲学者の野家啓一が述べるように,物語の効力そのものでもある。
⑥ 理解不可能なものは受容可能なものになったときにはじめて「経験」と呼ばれるに値する。[……]つまり,偶然的なものを何らかの因果連関の中で「関係了解」することによって,それは受容可能な「経験」となるのである。(『物語の哲学』)
⑦ じつは,こうした妖術の論理とよく似たことを,南方熊補が書き残している。仏教的な「因|と「縁」の概念について,南方はつぎのように言う。
⑧ 因はそれなくては果がおこらず。また因異なればそれに伴って果も異なるもの。縁は一因果の継続中に他因果の継続が竄入(ざんにゅう)し来たるもの,それが多少の影響を加うるときは起,[……]故にわれわれは諸多の因果をこの身に継続しおる。縁に至りては一瞬に無数にあう。それが心のとめよう,体にふれようで事をおこし(起),それより今まで続けて来たれる因果の行動が,軌道をはずれゆき,またはずれた物が,軌道に復しゆくなり。(『南方熊楠全集』)
⑨ 複数の因果関係の交叉にかかわるものが「( ① )」であり,それへの気づきが出来事を」生じさせる。一方の妖術論では,因果関係の交叉が「なぜ生じたのか」と問うことを通して,偶然的な事故が「妖術」という必然性を帯びた物語に転換される。アザンデの妖術と,仏教的な因縁の概念。一見遠く離れたこれらの論理に共通しているのは,物理的な因果関係のみならず,その交錯をもたらすものへの関心だろう。妖術も,常人の意志や作為を超えたものだが,人がその作用に気づいてどう動くかによって,のちの展開は変わってくる。偶然と必然と行為の絡みあいが,人の運命をつくりだす。妖術と( ① )の論理は,物理的な因果論によっては捉えきれない領域への気づきと行為を促すことで,人びとの生を変えていく。そんな風に考えていた。
⑩ だが,災厄の渦中にあるアザンデの人びとは,そうした妖術の物語に本当に納得していたのだろうか。彼らの被った理不尽な苦痛は,妖術の物語として語りなおされることで,受容可能な経験へと変換されたのだろうか。非西洋社会の災因論に関心を抱く人類学者たちはしばしば,「どのようにして」という問いの立て方を科学的な思考の特徴とした上で,それとは次元を異にする「なぜ」という実存的な問いに答える妖術的思考の意味を強調してきた。だがそれはもしかすると,災難や苦悩の只中にある人にとってのこれらふたつの問いの緊張関係を,見過ごすことであったかもしれない。
⑪ そう感じたのは,この同じふたつの問いが,人類学的な議論とはまったく異なる文脈において,苦難の当事者の言葉として発せられたときだった。
⑫ 今から六年前,私の友人は六歳の一人娘を事故で失った。それ以降,裁判や自主検証を通して事故の原因究明にみずから取り組んできた彼女は,こう語っている。
⑬ 私たちが問いつづける問いはふたつあります。「なぜ,私たちはあの子を失わなければならなかったのか,なぜあの子はいないのか」というWhyの問いと,「どのようにして事故は起きたのか,あの子はどうやって死んでしまったのか」というHowの問いです。
⑭ Whyの問いに答えはありません。私たちは一生悔いつづけるでしょう。私たちがあの子を守ってやれなかった,生きさせてやれなかった。
⑮ でも,Howの問いには答えがあります。事故が「どのようにして」起きたのかということはせめて知りたい。それによって娘の人生を最後まで守ってやりたいと願っています。
⑯ 「なぜ」という問いに答える物語を受けいれることで,当事者たちが苦難の意味を理解し,窮境を乗り越えていくこと。私たちは,それをどこかで前提としていた。だが,自分よりも大切な誰かを失ったときにわきおこる「なぜ」という問いは,どんな物語によっても答えられることがない。
⑰ 「なぜ」という問いに突き動かされながら,それでもなお彼女は「どのようにして」という地平から問いを投げかけつづけている。万人に納得をもたらす物語へと転化されることで,問うこと自体に終止符を打たれないために。なまなましい痛みの不条理さを忘れ去られないために。
⑱ 苦悩の当事者にとって,「なぜ」という問いに答えがないのだとすれば,いったい誰が妖術とそこからの回復の物語を紡ぎだしているのだろうか。それは占い師なのか,人類学者なのか,それとも社会であるのか,苦悩からの救済をもたらしうる一方で,「(A)問うな,もうこれ以上」と命じる力を秘めたものが物語であり,「なぜ」ヘの答えなのだろう。
(石井美保「めぐりながれるものの人類学』青土社,2019年3-部改変)
注1。(邪術)人間が意図していないにもかかわらず,危害等の影響力を他者に与えてしまう超自然的な力。Witchcraft。
注2。(妖術)人間が意図的に他者に危害等の影響力を与えようとする力およびその技術.
Sorcery。
問1 ①の空欄に入る漢字を書きなさい。
問2 下線部(A)について,なぜそのように命じる力が発動されるのか。200字以内(句読点等を含む)で答えなさい。
問3 本エッセイのテーマである「なぜ」と「どのようにして」のふたつの問いの緊張関係とはどのようなものか。ふたつの問いの特徴を明記しつつ400字以内(句読点等を含む)で説明しなさい。
(2)解答例
問1
縁
問2
どのようにして」という物理的な因果論を超えて,理解不可能で偶然的な出来事が「なぜ」という実存的な問いに対して物語を通して答えることで,当事者が苦難の意味を理解して,当事者が窮境を乗り越えていくことができる。偶然的なものを因果連関の中で関係了解することによって必然性を帯びた経験として受容させる 効力を物語は持つ。このように万人に納得をもたらす物語へと転化されることで問うことに終止符が打たれるから。(200字)
問3
「どのようにして」という問いの特徴は,科学的な思考であり,物理的な原因―結果論からなる。「なぜ」という問いの特徴は,一連の因果関係の交叉が「なぜ」起きたのか,という実存的な問いである。それは物語性を帯びている。妖術論がこれに当たり,因果関係の交叉が「なぜ生じたのか」と問うことを通して,偶然的な事故が妖術という必然性を帯びた物語に転換される。しかし大切な誰かを失ったときにわきおこる「なぜ」という問いは,どんな物語によっても答えられることがない。物語を受けいれることで,当事者たちが苦難の意味を理解し,窮境を乗り越えていくことをどこかで前提とする発想がある。しかし,「なぜ」という問いに突き動かされながら,それでも万人に納得をもたらす物語に転換させて終止符を打たれないために,なまなましい痛みの不条理さを忘れ去られないために,「どのようにして」という地平から問いを投げかけつづけている。(393字)
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