三つ目の困難校で、私は博士課程へ進んだ

三つ目の困難校で、私は博士課程へ進んだ

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学び
2校目の学校で働きながら、私は夜に修士課程へ通っていました。

仕事をしながら英語教育を学ぶのは大変でしたが、大学院で学ぶことは、私にとって楽しい時間でもありました。

教室で感じていた疑問を、英語教育の理論から考えることができる。

「なぜ、この方法がうまくいかないのだろう。」

「なぜ、同じように教えても、生徒によって反応が違うのだろう。」

そんなことを考えながら学んでいました。

一方、学校では、英語を教えることだけが教師の仕事ではありませんでした。

あるとき、教頭先生から、

「お母さんのような存在になって下さい」

と言われました。

その言葉は、今でも覚えています。

生徒に寄り添うことは大切です。

生活面を支えることも、教師の大切な役割です。

でも、私は英語教師として、英語教育を学び、英語を教えていきたいと思っていました。

そんな中で修士課程を修了し、私は3校目の学校へ異動しました。

そこも、困難校でした。

そして、ここでは、修士課程で学んだ英語教育の知識を思うように生かすことができませんでした。

英語を教える以前に、まず生徒と向き合うことが必要でした。

「せっかく修士課程まで行って学んだのに、学んだことを生かせない。」

そんな思いを持つこともありました。

けれど、大学院の教室に行くと、私は生き生きしていました。

英語教育について考える。

先生や学生と議論する。

新しいことを知る。

自分の疑問について、もっと深く考える。

学校にいるときとは違い、そこでは私は、自分がやりたいことを思い切り学ぶことができました。

そして、気づいたのです。

私が一番生き生きしているのは、学んでいるときなのだ。

もっと英語教育について学びたい。

修士課程で学んだことを、もっと深く知りたい。

そして、英語を教える方法だけではなく、

「人はどのように第二言語を学ぶのか」

ということを、もっと研究したい。

そう思うようになりました。

そして私は、博士課程へ進むことを決めました。

博士課程では、TESOLを専門に学び、英語教育について研究しました。

今振り返ると、3校目の困難校で、修士課程で学んだことを思うように生かせなかった経験が、さらに学びたいという気持ちを強くしたのだと思います。

学校では思うようにできない。

でも、大学院では、自分が知りたいことを深く考えることができる。

その違いが、私にははっきりと分かりました。

当時は、博士課程へ進むことが、その後の人生につながっていくとは思っていませんでした。

ただ、

「もっと知りたい。」

「もっと学びたい。」

その気持ちが、私を博士課程へ向かわせました。

そして、博士課程での学びは、やがて私を大学で教える道へとつながっていくことになります。

次回は、私がどのように大学教員になったのかを書きたいと思います
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