💎「言い方一つで人間関係は変わる!」
いい悪いではなく人間、感情の動物だからです。
職場にも知り合いや友人の中にも、
他人に対してアタリのきつい人がいます。
喧嘩を売っているか他をけなして偉ぶりたいのか、
単に自分をアピールしたいのか訝しく思います。
心がおだやかでいられなくなるのです。
弱い人ほどよく吠えるのことわざ通り、
自分を攻撃させまいと相手を威嚇する心根の弱い人。
「そんなにおびえなくてもいいですよ。
この中の誰もあなたを傷つけようとしていません。」と感情を
なだめてあげたくなります。
人にキツクあたって自分をえらく見せようとしている人には、
醜い心に気づいてもらうために、
「鏡、見せましょうか、鼻が高くなってますよ」というのはどうでしょう。
あるいは、スルーをして時を待って
「そんなにトゲトゲしていると精神的にも物理的にも誰も近づけませんよ!」と言うようにしたらどうでしょう!
それから、相手が本当に他人を事を思ってきつく当たる場合があると思うのです。そんな時は、
「ご忠告痛み入ります。ありがとうございます。」
こちらが感謝をしているので、次に会った時は心を開いてくれるはずです。
そして、「この間はありがとうございました。いいことをおっしゃってくれました。でも、言い方がちょっときついですよね!」と.....!
それでは、この人は底意地が悪い人と感じたら、
「そんなに私の事をいちいち気にしなくてもいいですよ!」と....!告げて
なるべく離れていることに徹底することです。
自分の心を穏やかにするとともに相手の心の状態をも穏やかにする方法です。
皆さん、お気づきのことと思います。
そうなんです。
「敬語」の活用です。少し改まった言葉使いというものは、
自分にも相手にも”スカシ”が入るのです。
いわゆるいい意味でのフェイントです。
敬語を馬鹿にしたり、面倒くさいと言っている間は成長していないという事です。
「敬語」は、円滑なコミュニケーション作りにもってこいのものだからです。
丁寧語、謙譲語、尊敬語というふうに自分にも相手にも気持ちを穏やかにする効果があります。日本人がt作り出した文化です。
活用しない手はありません。敬語を使う事が頭にないので、
答えを求めようと理屈ばかりを追いかけてしまうのです。
答えはないのです、なぜなら気持ち云々だからです。
昔から言います。女ごごろと秋の空!男は?ナンチャッテ!ファイト!
💎許せない事と感じたら無理に許してはいけません!
なぜなら、
無理をしなくてはいけないという事は、自分にとっては自分以外の人間には
わからない気持ちが自分にあるからです。
「許す」というのは美しい行為です。
美しいだけに「許してあげなさい」というセリフは、
有無をいわさぬ力を持っています。
どんな人もどんなことを暖かく許すことができればそれは確かに素晴らしいことです。しかし、悪いことをした人物、嫌いな人を許せない自分が
随分と欠陥人間のように思えてきたりする。
しかし、悪いことを許せないと感じる人は、正常な人でなのです。
あなたは、人を何人も殺した人を笑って許せるのですか?
その方が欠陥人間と思うのです。
人間は神様ではないので、「許す」というのは、そう
簡単にしていいことではないのです。
あなたには良いこと悪いことの区別がある。
その区別がある限り「許せない」ことがあって当たり前のことなのです。
良いことと悪いことの区別がつかなくなってしまう方が困ることなのです。
「許せない」という気持ちは、あなたの倫理観を表現する感情なのだから
その気持ちを大切にしてほしい。
「許せない」という気持ちが湧いたら、
無理に許そうと思うのではなく「なぜ許せないのか?」を
考えて見ることです。
どこまでなら許せるのか?どこからは許せないのか?
それがあなたの倫理観のラインなのです。
妥協点というのも然りです。
頭だけで無理に許そうとすると、どこから許すのか決められなくなってしまうのです。これ人間の道理です。
どうでしょう!「許せない!」と怒ると、自然と「もういいや!」
「どうでもいいや!」となることも多くあるのです。
これが人間という生命体なのです。そうすると、
こころから「許す」という事になるので気持ちも納得の方に向かうのです。
他人に「許してあげろ」と言われてゆるしたフリをするのが一番危険な事という事です。ですから、誰かに軽々しく「許してあげなさい」と言わない方がいいのです。あなたには、その人の気持ちがわからないのですから....!
関係のない他人が関係のないことを許すのは簡単な事です。
しかし、他人の目からは、「そんなささいなこと!」と思うものでも
当の本人にはどうしても許せないことがあるのです。
その人が許せる気持ちになるまで、周りの人間は、
その人が「なぜ許せないのか!」という事を、
一緒になって考えて見るぐらいの事しかできないのです。
これが大切な事なのです。
これが現実というものなのです。人間の道理です。
💎「相手がイヤでしかたのない時は!」
自分の観察眼を疑うという事をした方が冷静な気持ちになれるからです!
ラジオで人生相談をしていた時、
「人間の観察眼はそれほど確かなものではない」という事を
知りました。というのは、
結婚生活の悩み相談で、
「夫がこんな人間だったとは思いませんでした」というのが
あまりに多かったからです。
結婚するときはたいていの人が「この人がいい」と思って結婚
するはずです。
ところが一緒に生活を始めると、最初に思っていたのと全然違う面が
出てくる。つまりは、観察眼がなかったという事になるのです。
私自身、女房の超ウルトラ・スローモーぶりを発見したのは結婚した後だった。
病院の職員の披露宴の時、駅で待ち合わせをしたらなんと2時間も
遅れてきたのである。
結婚するときというのは、お互いに「期待」を持って見ているところが大きい。
誰でも自分の心の中に「こういう人がいいな」という理想像があり
その理想を相手に重ねて見てしまうのです。
そして、「素晴らしい人だ」と思ったりするのです。
それは自分の心の中で思っていることなので現実の相手とはチョッピリ
ズレがあるのです。
結婚すると自分の思っていたとおりではないことがわかってくる。
すると今度は、我慢できないほどイヤになってくることが出てくる。
「いい」と思っていたのが間違いで「いや」が正解かというとそうも言えないのです。
イヤだと思うと、今度は自分の中で「いやだ」と思う反理想像を相手に重ねて
あれもこれもみんなイヤに見えてくるのです。
箸の上げ下ろしまで気に障る。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い!」
しかし、それも現実の相手とはちょっとズレているのです。
相手がイヤに見えて仕方がない時は
「そのうちにまたいい所が見えてくるかもしれない」と思っていれば間違いない。気持ちの持ちようで観察眼も変化してくるのです。
相手にはまだあなたが気づいていない、いい所もたくさんあるにちがいないのですから。
結婚すると発見するところは、悪い所ばかりということはないはずです。
「おや!こんなところもあったのか!」と気づくはずです。
ですから、いい所と思えることを発見していくという事を楽しみに変えるべきなのです。つまり、こういうフィーリングになれるはずです。
なぜなら、結婚しようと決心できたのは自分でも気づかない潜在的なものが
相手に存在したからです。
まず、心の中でこうあってほしいという「心的要求水準」のレベルを
下げて見ましょう、思い切って!
人生さじ加減、60%、70%主義がベストといわれる所以だと思うのです。
このさじ加減を会得する事態が人間の人生というもののひとつと
思っている次第です。
💎「相手を変えようとするのはムダな努力というものです!」
思うがままにならない事だからです。という事は、準備として
自分にとってどういう事が思うがままになることで、
どういう事が思うがままにならない事なのかを明確にしておく必要が
あるという事です。
「誰もが自分と同じでなくてもいい」などと言うと
当たり前と思う人がほとんどと思う。
しかし、実際には私たちは他人が「自分と同じだ」という事を
前提に考えていたり、自分と違うと怒ったり、
相手を自分と同じようにしてみようとしたり、
「ムダな努力」というものをしているのです。
自分を有能と思っている人は、
周囲の人が自分ほど有能ではなく
自分と同じように素晴らしい仕事ができていないことにイライラして
腹が立って仕方がない。
彼は、「私の仕事が増える。私ばかりが損をする」という。
「その人の仕事は、その人の仕事で放っておけばいいではありませんか」と言えば、「あまりにモタモタしていて見ていられない。
私がやってしまった方が早い、と手を出さずにはいられない。
ほうって置いたら私の部署の成績が下がってしまう」という。
自分の部署の成績が下がるのは、自分の評価まで下がると感じているのだろう。
彼は無能な同僚の仕事を代わってやって「得」をしたい。
労力としては、損かもしれないがそれをやらなければ彼の気持ちは
納得できないのである。
気持ちとしては得を取って、労力としては損をしているのだが
それがくやしくてしかたがないらしく労力をかけずに得をしたいのである。
誰だってその方がいいのだが.....!
しかし、自分と違う人たちとつき合うのはもともと努力のいるものだ。
彼の周囲にいる人の方も、この人とつき合うのに大変な労力を必要と
しているはずです。
「やれやれ、自分と同じような能力の人達だったら良かったのに。
時間をかけても自分でやるから、いちいち手を出してくれなくてもいいのに」と思っているはず。
同僚が彼と同じような仕事ができないのと同じに
彼も、同僚たちと同じようにのんびりと仕事ができないのだ。
どちらも相手と同じようにはできないという点で同じなのである。
それを「自分の方が相手より偉くて、向こうは困ったもので、
こっちばかり損をしている」と思うから疲れる。
そんなに相手を同じにしたいのならば、
まずは自分が相手と同じになろうとしてみればいいのです。
いくら頑張ってもできないことがわかるだけなのです。
結局、誰もが自分のやり方でやるしかないことなので、
人まで自分と同じようにするという事は、
思うがままにならない事を思うがままにしようとしているだけで
結果は目に見えているという事です。
関知しない事、いうなれば関知してはいけない事といえると思います。
💎「緊張を分散できるネットワークを作ろう!」
昭和時代初期~中期までのフィーリングである
近所の人とのちょっとした会話ができる程度のおつきあいフィーリングを
持つようになることで孤立感がなくなるからです。
長年OL生活を続けていたある女性は、
結婚して退職をして子供とのんびりと家で過ごすことが夢だった。
子供を産んでからも人に預けて仕事を続ける人もいるが
「何もそこまでして働かなくても!」と思っていました。
預ければ結局おカネがかかる。
預けに行って会社に出勤して帰りは迎えに行き労力的にも大変だ。
よくそれだけのエネルギーがあるものだ。と感心していた。
この女性は、念願通りに会社を退職して子供を産んだ。
ところが、思っていたのとは全然違う事がわかった。
毎日、赤ちゃんと二人っきりだ。
一瞬も目を離せず緊張しっぱなしだ。
友人の子供をときどき抱っこさせてもらうのとはワケが違う。
ずっと抱いていると腕が疲れて、
「赤ん坊とはこんなに重いものなのか」と思う。
会社勤めをしていた頃、それほど仕事にやりがいを感じていたわけでも
なかったが他人の目が合った。
しかし、家の中では他人の目がない。
果てしなく赤ん坊と二人きりの世界である。
すると、どんよりと疲れてきてはりがなくなってくるというのだ。
ときどき、母親に預かってもらう時の数時間の解放感といったらない。
たとえ労力がかかっても、おカネがかかっても、ときどきは、
預けて外に出たいと思うようになった。
このままでは自分のエネルギーがなくなってしまう。
仕事に出かけて子育てもして、というのは、はたから見ていたら
二倍大変なように思えたが、子育てだけしていたら、
どんどんストレスがたまってエネルギーが二分の一になってしまう。
二分の一になるより、二倍労力をかけても自分が元気でいられる方がいい。
そう思うようになったそうだ。
昔のような大家族だったときは、若いお母さんがたった一人で子どもと
向き合っていることはなかった。
おじいちゃんもおばあちゃんもいたし、近所付き合いもあった。
一人で一日中気を張っていなくてもみんなで分担し合って
適当に気を抜く時間もできたのだ。
今の都会のお母さんの子育ては工夫が必要だと思う。
もっと近所付き合いを広げたり、
二人きりにならないネットワーク作りも大切だ。
子供のためには、どうするのがいいかも考えなければならないが
自分のためにも考える必要がある。
自分がイライラしたら、結局こどものためにもならないから.....!
💎「悩む役目の人もいる、ちゃんと役目を果たしましょう!」
目に見えない暗黙の常識というものに媚びないために必要であると同時に
いい悪いではなく自分の個性というものにも繋がるからです。
世の中には、お巡りさんもいれば学校の先生もいる。
八百屋さんがいれば医師もいる。
みんなそれぞれの役割があってその役割を果たしているからうまく行く。
きょうはお巡りさんが学校にきて算数を教えるという事はなく
お巡りさんが病院で手術をすることもない。
人間にもいろいろな人がいるが、みなそれぞれの役割があって
その役割を果たしているのではないだろうか!
たとえば、すぐにくよくよと悩む人は、「悩む役目の人」なのである。
街に「おまわりさん」という役目があるのと同じで「お悩みさん」なのだ。
お悩みさんは、悩み役なのだから毎日悩むのが仕事。
心配性のあなたは、そう考えて見てはどうか!
あなたはきっと悩むのが役目なのだから「悩まずに生きよう」などと
あがいてもムダな事なのです。
「これが私の役目だ」と信じて、一生懸命に悩んで見て下さい。
毎日悩むことに関して少しずつでも精進し、りっぱにお役目を果たせるように
向上してみてはどうでしょう!
お悩みさんは、周りの人があまり悩んでいない場合は、
特にたくさん悩むが、それも仕方ない。
周りの人が掃除しない人ばかりだったら、誰かが掃除を一手に引き受けるはめになる。
それと同じで、一人で悩み役の重荷を背負ってしまうわけだ。
ちゃんと所定の「悩む」分量をこなす人が必ずいるのである。
「そんなに悩んでばかりいてどうするのか。もっと明るく生きなさい」と
いう人がいるかもしれない。が、
そんなに誰しも明るくなってしまったら
「悩む」のは誰がやるのか?
「悩むは」どこへ行ってしまうのか?
「悩む」という単語があるからには、「悩み」はある。
あるのだから、悩んでもいいではないか!
おおいに悩みましょう!
しかし、お巡りさんも一日中お巡りさんをやっているわけではない。
家に帰ってくればお巡りさんの仕事から解放される。
お悩みさんも一日中やっている必要はないはず。
友人や家族とおしゃべりをして笑ったり、テレビを見たり、
「悩む」以外の事をやっている時間もある。
お悩みさん役の時は、全力を尽くして悩み、そのあとは、
スッキリと他の役をするのがいいのではと思うのですが.....!
💎「誰にも優しくしなくていい、困った人を助けなくてもいい!」
優しさの押し売りになれば、真の優しさではなくなってしまうからです。
自分にできないことをしている人を見ると「すごい」と思う。
百メートルを十秒で走る人を見たら「すばらしい」と感動する。
だから、子供の頃、親や先生に
「誰にでも優しくしましょう」
「困っている人は助けてあげましょう!」
などと言われるとこれは弱い。
子供は、誰にでも優しくなんかできないことはわかっている。
自分にできないことは、「すごい」のだからこれは
素晴らしいことだと思ってしまう。
そのうちにどんどん大人になって行くのだが、
世の中には困った人がたくさんいて、とても助けきれたものではない。
それでいいのである。
しかし、困ったことに、
「困った人を助けられない」といって困ってしまう人や、
「誰にでも優しくできない」といって困ってしまう人がいる。
そんなことで困らなくていいのだ。これ以上
「困った人」が増えても困る。
あなたが困らなければ世の中から「困っている人」が一人減る。
あなた以外の困った人の事は放っておいてせめてあなただけでも
困らないで欲しいのだ。
「誰にでも優しく」だの「困った人を助けよう」というのは、
「百メートルは十秒で走りましょう」と教えているようなものである。
それができれば素晴らしい!
全世界には、そんな人が数人いるかもしれない。しかし、
たいていの人間には無理である。
百メートルを十秒で走れなくても悩む必要がないように
誰にでもやさしくできないからといって
「私は、相当ダメ人間なのではないか、やさしくないのではないか」などと
思わないことです。
私たちは普通の事を普通にきちんとすることを考えればいいのです。
毎日何として百メートルを十秒で走ろうと頑張っても
疲れ切って会社に行かない人間は困りものです。
誰にも優しくしようと頑張って疲れ切って毎日の生活ができなくなってしまう
人間は困りものという事です。
あなたはそんな筋違いの努力をしていませんか?
「努力」というのは、素晴らしいお題目だが、
普通の事をきちんとするのを怠ける言い訳にされてはたまらない。
という事です。
💎「平凡な人生は、ねたまれず心安らかだ!」
平凡さの中での自分らしさを出すことがベストな事だからです。
ある三十代の独身男性は大変な美男子で、コンピュータ関係の会社に
勤めている。
さぞかし女性にもモテるだろうし、人生が楽しくて仕方ないのではないかと
私は思っていた。
ところが彼は、「そんなことをしたら人にねたまれる」というのが
口癖である?
これからゴルフを始めようかと思っているんです。」と誰かが楽しそうに言うと、
「そんなおカネのかかるスポーツをしたら人にねたまれるよ」と忠告する?
「今度インタビューされて雑誌に載るんです」というと
わざわざねたまれるようなことをしなくても」と心配する?
彼は人にねたまれるのがイヤでなにもできない?
ひたすら目立たずおとなしくすることに努力を傾けている。
持てる者の悩みというものである?
世の中には確かに妬み深い人も存在するので、
ねたまれないように注意するのは処世術のひとつでしょう。
しかし、ずいぶんと不自由な人生だ。
せっかく美男子でエリートでも何も楽しめていない。
もしかして人の目の届かないところで楽しんでいるのかもしれないが、
楽しんでいるところを人に見られたらまたねたまれる?
何かおかしい?トホホホ!
こんな努力などせずとも最初から目立たずねたまれない人生というのも
快適では!
美男子でなくてよかった!
成績が悪くてよかった!
高給取りでなくてよかった!
しかし、これでは無い尽くしすぎるのが人間の世界というものでは⁈
つまり、ないない尽くしの人間もそれなりに生きていけるので、
ましてや人をねたんでいる暇はないはず!
ねたまずにお願いします。
先ほどの美男子でエリートの人もこれでそれなりに生きて行けるはずです。
皆さんに幸あれ!
💎「転ばない人よりも立ち直る人になろう!」
真のカッコよさというものを会得するために必要だからです。
「立ち直る」というのは、とても大切な能力である。
というのも、人というのは、
うまく生きているように見える人も、必ず転んだり落ち込んだりしているからだ。
長い人生の間に一回も転ばない人など存在しない。
「挫折」というものは人間の宿命といってもいいと思うのです。
ですから、転ぶということはしんどいですが立ち直れればどうという事は
ないはずのもののはずです。
ですから立ち直り方を覚えることの方が肝要と思うのです。
やはり実際に転ぶ時がきたら受け入れてころぶしかないということですね。
この方法しかないわけです。
スマホがどうのこうのという事ではないはずです。
「私は自分で立ち上がれる」という自信がつくということが
人間にとっては大切なことと思うのです。
自ら意図的には誰も転ぶことはしないはずです。
不意に起きた時だと思うのです。
だから逃げずに自分なりに受け入れ対応するという事をこまめにするという事を重ねることの方が「平穏」というものを手に入れることができると思うのです。慣れたものとなるからです。
「立ち直りの名人」という自負が自信の表れとなり、この自信が人生の下支えとなるものだからです。
💎「自分をダメ人間と決めつける権利はあなたにはない!」
お洒落な落ち込み方を身に付けるために必要なことだからです。
落ち込みやすい人の特徴に「マイナス拡大思考」というものが
存在します。
たとえば、仕事でミスをすると、
「ああ、わたしは無能で何ひとつできない人間なんだ」と思ってしまう。
しかし、無能ということにはならないと思うのです。
だって失敗しない人間なんてこの世には存在しないからです。
それから「好きな人にふられた!」
私なんて誰にも愛されない人間なんだわ!
根拠のない拡大解釈ですよね!
ではどういうフィーリングになればこういうフィーリングを追い払えるのでしょうか?もうおわかりだと思います。
クールに今日の出来事を垣間見ることです。
そして、世の中も、太陽も、月も変わりなく存在していることに
気づくはずです。
そう、悲劇のヒロインになってぶりっ子の時間になったいたと
感じ目が覚めるはずです。
私ってそんなたいした人間ではないことに気づくからです。
個性は人それぞれにありますが......!
💎「制約だらけの社会だからこそ頭をちょっとひねる必要があるのでは!」
人間という生き物は、もともと自由を好むように作られているからです。
何もかも自分の思い通りのよい条件などありません。
宇宙に飛ぶような大事業の中でもさまざまな制限が存在しています。
誰かが自分の壁となるものを取り除いてくれることはありません。
自分の壁なのですから!人が作った壁ではないからです。
誰もがいろんな制限の中で何とか折り合ってやっているという事は
忘れてはいけない事だと思うのです。
スムーズに事が運んでいるように感じる人もそう感じるだけで
現実はそうではないと感じることの方が正しいフィーリングと思うのです。
つまりは、制約の中で自分が持っているものを総動員して考え行動するはずです。アそういうフィーリングを持てた人がアイデアなりを必然と
見つけ出すようになっているだけなのです。
大切な事は、この制約がなかったらうまく行くのに!と嘆くことに時間を
使うのではなくどうするか?と考えるクセを持っている人が
不満をこぼさなくて済むという事になっているわけです。
つまり、人間という生命体は最初から人間ができているわけではありません。
言い換えれば不満だらけになることが当たり前のことなのです。
そした、不満をぶちまけ続けていると、自分の思い通りにならないことに
ある日気づいて、そして、あきらめというフィーリング、いいいみでの
開き直りにフィーリングになり、何とそこから冷静になってベストを尽くすというフィーリングに自ずとなり大人になって行くのです。
不満は必要なものと言えるはずです。
💎誰にでも、どんな状態にある人も、
淋しい気持ちになる心は訪れるものです。
だったら、その気持ちを活用すべきと思うのです。
カッコつけて行きつけの店に行って、
酒を飲みながらマスター&ママさんに話をする!
あるいは、得意な事をサッと行動に移すとかで
つまりそれでモヤモヤ感ははれるという事です。
💎モヤモヤ感の決定版!都合の悪いことは「人のせい」にする!
「人のせい」が真実と思い込むことです。
よくないと思う事が起きると、人間というものは、
誰が悪い、彼、彼女が悪い、社会が悪い、時代が悪いと...!
つまり、外に原因を求めてしまうという事です。
これは、自分ではきづかないのですが、事態は好転することはありません。
絶対にです。
「自責」というものが逆に自ずと人生を好転させるカギとなっているからです。これ、人間の道理なのです。
つまり、自分に起こることはまず受け入れて「さてどうするか?」と
考え納得ができる答えが出るまで考えるという事です。
その際、自責(原因を作っているのは自分)というフィーリングを持つことが納得のいく答えが出るという事です。
自責というフィーリングを持つことは、なかなかむつかしいことです。
しかし、このフィーリングを持つことが好転することへのスタートとなるのです。矛盾していますが.....!
💎やはり人間の人生で大切なことのひとつは!
心が平穏、「快楽」より「安楽」こそ幸福感へ!
小さな快楽を継続させることで、
安楽という心穏やかな状態になるという事です。
これが「安楽」ということへ!
「安楽」とは、日々心穏やかな状態のことです。
それでは「小さな快楽」とは、例えば、
美味しいものを食べて「あぁ、おいしかった!」
本を読んで「あ~面白かった!」
ぐっすり眠って「あ~気持ちよかった!」というフィーリングの事です。
こういうフィーリングをもって日々過ごすことを優先にしていると
心穏やかな日々(安楽)を送ることができて
人間の幸福というものが得られるという事です。ですから、
人間の人生においての心の目標でもあると思うのです。
💎「いい縁」を呼び込む方法!
まずは、悪縁というものは遠ざけることです。
そして、いい縁を呼び込みつなげていくには、
自分がやるべきことと思う事を精一杯にやって、
そこからくる満足感というフィーリングをもって、
日々心穏やかに過ごすことです。
そうなることでしか「いい縁」というものを呼び込むことはできません。
自ずと、「悪い縁」は遠ざかり「いい縁」にのみ恵まれるという事です。
💎いつも上機嫌である必要性とは!
男女関係なく何が気に入らないのか?
・常時不機嫌でいる人、
・始終イライラしている人
・周囲に怒鳴り散らしてばかりいる人
・不意に偉そうに絡んでくる人
こんな人間には近づきたくないと思うのが普通の人間のはずです。
なぜなら、とばっちりを受けてこちらの気分まで悪くなるし
場の雰囲気も暗くなってしまうからです。
さらにストレスの多い社会になってしまっているので、
人間関係まで自ずとギスギスフィーリングになるからです!
つまりは何もいいことがないからです。
何があっても、笑顔を心がけていると、
自ずと穏やかな心の状態、ひいては表情にもつながり心も
落ち着くからです。
しかし、心の状態というものは千差万別!
不調な時ということもあります。その時には
深呼吸をして心を落ち着かせ穏やかな表情を作ることが必要という事です。
これ、自分のためなのです。
穏やかな心の状態で、言葉を話すという事がポイントのはずです。
そのためにも笑顔作りが肝要と思っている次第です。
ここで、笑顔というのは、
・人をバカにしたにやけ笑いではないことに注意して下さい。
💜皆さんに幸あれ~💜!!!